趣味動画見逃し配信 音楽動画見逃し配信

安全地帯40周年記念コンサートの動画見逃し配信!TVerやYouTube以外で無料視聴

安全地帯40周年記念コンサートの動画見逃し配信!TVerやYouTube以外で無料視聴

NHK総合で放送されているライブ番組「安全地帯40周年記念コンサート」を無料視聴する方法について紹介していきます。再放送の情報や、無料動画や見逃し配信はTVer(ティーバー)で配信されるのかなど、昨今はテレビをリアルタイムで視聴するよりもスマホやテレビ、パソコンで視聴したいですよね?

NHKプラスやYouTube(ユーチューブ)やbilibili(ビリビリ)、Dailymotion(デイリーモーション)、9tsu、miomio、Pandora(パンドラ)以外の「安全地帯40周年記念コンサート」の動画配信についてなのですが、現時点では動画配信サービスU-NEXTで配信される可能性があります。

U-NEXT

U-NEXTの登録・配信動画はこちらから

 

「安全地帯40周年記念コンサート」2023.5.5放送分

タクト
安全地帯40周年記念コンサート
2022年11月の記念コンサートから、圧倒的な歌唱力とパワフルな演奏で心揺さぶるステージの模様をお届け。2月に4Kで放送された番組を総合テレビでオンエア。

安全地帯は、去年、デビュー40周年の節目を迎え、2019年の阪神甲子園球場以来3年ぶりにコンサートを開催した。年末には、37年ぶりに紅白歌合戦に出場。田中裕二さん(Drums)が亡くなった直後の力強いパフォーマンスは、大きな感動をよんだ。番組では4日間にわたって行われたコンサートの模様を、リハーサルや舞台裏の映像とともにお届けするほか、今年1月に収録した玉置浩二さんの最新インタビューもオンエア。

「安全地帯40周年記念コンサート」の出演者

【出演】安全地帯,戸次重幸

U-NEXT

U-NEXTの登録・配信動画はこちらから

 

動画配信サービス「U-NEXT」を利用するメリット

先ず、「U-NEXT」では上記の通り現在放送されている最新のドラマやアニメ、映画、まだ海外ドラマや洋画、更には電子書籍で漫画や雑誌など多く配信されております。

また、「U-NEXT」でのみ配信されるドラマもあるので、他では味わえない楽しみを味わうことが出来ます。

220,000 本以上が見放題!

最新レンタル作品も充実。
見放題のラインアップ数は断トツのNo.1。だから観たい作品を、たっぷり、お得に楽しめます。また、最新作のレンタルもぞくぞく配信。もう、観たい気分を我慢する必要はありません。

動画も書籍も

U-NEXTひとつでOK。
映画 / ドラマ / アニメはもちろん、マンガ / ラノベ / 書籍 / 雑誌も豊富にラインアップ。あなたの好きな作品に、きっと出会えます。

毎月もらえる

1,200ポイントでお得に。
毎月もらえる1,200円分のポイントは、最新映画のレンタルやマンガの購入に使えます。翌月に持ち越すこともできるので、お好きな作品にご利用ください。

※ポイントは最大90日まで持ち越し可能です。
※ファミリーアカウントでもご利用いただけます。

解約は

いつでもOK。
U-NEXTの解約は、いつでも手続き可能です。無料トライアル期間中の解約の場合、月額料金は発生しませんので安心してお試しください。

そして「U-NEXT」では、パソコンやスマホ、タブレットだけでなくテレビの大画面で視聴することも可能なので、ゆっくりと大画面で、そして何処ででも動画を楽しむことが出来ます。

更に、「U-NEXT」はWi-Fi環境下などで動画をダウンロードしておけば、オフライン状態でも動画を楽しむことができます。

通信料などを深く気にせずに動画を楽しむために、ダウンロード機能は本当に便利です。

よくあるご質問

U-NEXTとは?

株式会社USENで、2007年に始めた動画配信サービスです。現在は映画 / ドラマ / アニメなどの動画だけではなく、マンガ / ラノベ / 書籍 / 雑誌など幅広いコンテンツを配信中。ひとつのサービスで観るも読むも、お楽しみいただけます。

なぜ見放題作品とレンタル作品があるの?

劇場公開から間もない最新作や、テレビ放送中のドラマ / アニメなど、ひとりひとりにお楽しみいただける作品をラインアップするためです。
毎月チャージされる1,200円分のU-NEXTポイントを使えば、最新映画なら約2本レンタル、マンガなら約2冊の購入に利用できます※。お気軽に、お得に、お楽しみください。

※作品によって必要なポイントが異なります。

無料トライアルは何が無料?

トライアル期間中は、月額料金が無料になります。
無料トライアル特典としてプレゼントされるU-NEXTポイントで、最新映画のレンタルやマンガの購入をすることも可能です。なお、お持ちのU-NEXTポイント以上のレンタルや購入をする場合は、別途料金が発生しますのでご注意ください。

最大40%※ポイント還元とは?

無料トライアルで特典としてプレゼントされるポイントや、無料トライアル終了後の継続利用で毎月もらえる1,200ポイントを超えて、最新映画のレンタルやマンガの購入をした場合、その金額の最大40%を32日後にポイントで還元します。

※iOSアプリのUコイン決済は20%のポイント還元です。
※Androidアプリ決済、キャリア決済、楽天ペイ決済はポイント還元の対象外です。
※U-NEXTポイントの消費はポイント還元の対象外です。
※ライブ配信作品、映画引換クーポン、NHKまるごと見放題パックの購入はポイント還元の対象外です。

フルHD画質 / 4K画質とは?

U-NEXTでは、Blu-ray Discに相当する高画質HD(1080p)配信に対応しており、レンタルDVDよりも美しい映像をお楽しみいただけます。
また一部の作品は、より画質の高い4Kにも対応しています。なお、通信速度が低下した際は、状況に応じて最適な画質に自動調整するため、余計なストレスを感じることなくご覧いただけます。

月額料金を支払うタイミングは?

無料トライアル終了日の翌日、それ以降は毎月1日に自動更新となり、このタイミングで月額料金が発生します。
引き落とし日は、ご登録されるお支払い方法により異なるため、別途ご確認ください。

いつでも解約できますか

お手続きいただくことで、いつでも解約できます。
無料トライアル期間中の解約であれば、月額料金が発生することもありませんので、ご安心ください。

「U-NEXT」はこれだけのメリットがある動画配信サービスなので、おすすめです!

U-NEXT

U-NEXTの登録・配信動画はこちらから

 

TVerでの動画見逃し配信は?

TVerは、在京民放キー局5社(日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ)と、在阪民放5社(MBS毎日放送、ABCテレビ、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪)、広告代理店4社(電通、博報堂DYMP、ADK、東急エージェンシー)が共同出資した株式会社TVer(旧・株式会社プレゼントキャスト)が運営するOTTサービス。

海賊版コンテンツ・不正コピーの防止・対抗を目的として2015年10月26日にサービスが開始された。スマートフォンやタブレット向けのTVer専用アプリやPC上のウェブブラウザを利用して、民放テレビ局が提供するテレビ番組や動画コンテンツを視聴することができる。

在京民放5社は、当サービスの開始以前から独自の見逃し配信サービスをそれぞれ運営しているが、「TVer」はこれらを一元的に集約させたポータルサービスとしての役割も担う。

インフラにブライトコーブの動画配信プラットフォームBrightcove Video Cloudと機械学習を使ったエンコード技術Context Aware Encodingを採用している。

安全地帯40周年記念コンサートはTVerで配信される?

配信は、放映から1週間程度の期間(次回放送がそれを超える場合は、遅くとも次回放送開始前まで)行われ、従来の放送と同じようにコマーシャルが挿入される形式となっている。テレビジョン放送とネット配信とで権利処理が大幅に異なるため、それらの関係で配信対象外となる放送回もあるほか、番組出演者が配信期間中に不祥事を起こした場合も即座に配信終了となるが、当該パートを削除された上で再開されることもある。また、一部の2時間以上に拡大された特別番組など、長時間番組は複数のパートやコーナー別に分けて配信されることもある。

サービス開始当初は、全国ネットでの放送番組(準キー局制作番組や系列BSデジタル局の番組を含む)を中心とした番組ラインナップであったが、2016年秋から2018年春までにかけて全ての準キー局系の見逃し配信サービスが参画し、番組の直接配信を開始したことにより、放送エリアが制限されているローカル番組の視聴も可能となった。これ以降、準キー局以外の系列局が制作したローカル番組も順次配信が行われている。

開始当初の配信番組はドラマ作品等が中心だったが、年を追うごとにバラエティ・アニメ・料理番組等ラインナップを増やし、2023年1月現在ではゴールデンタイム・プライムタイム等の番組を中心に約400番組以上がラインナップされている。また、ドラマ・アニメ作品等では本サービス開始前に放送された作品(概ね1950年代から2010年代までの物)や、オリジナル作品等が配信されることもある。ニュース・情報番組等については未だに、基本的に配信していないが、東日本大震災やSDGsなどのキャンペーン企画実施時に例外として配信する場合がある。ただし、全国ネットの番組であっても権利処理が難しいもの(映画番組等)や、製作側の事情から当サービスで配信が行われない番組もある。

配信番組は基本的に主音声(第1音声)のみが配信される。そのため、音声多重放送且つ副音声(第2音声以上)にて、2か国語放送や解説放送や副音声付放送等が行われた場合は副音声版を別途配信することもある。

「TVer」ではradiko(プレミアムを除く)とは異なり、配信番組の視聴にあたって国内でのエリア制限は施されていないことから、配信対象番組で放送枠の移動がある場合は、必ず放送時間のところに「一部地域をのぞく」の表記が入る。これは系列局が無い地域かクロスネット局で同時ネットの対象から外れた番組において遅れネットか非ネットの時があるため。一方、海外での利用はできず、この点は同様である。

2019年8月26日には、公共放送である日本放送協会(NHK)が制作する番組についても配信が開始された。広告放送が禁止されている同協会の性質上、NHKの番組をTVerで視聴する際にはコマーシャルは流されず、代わりに同局の番組宣伝などが流れる。なお、TVerでのNHKの番組視聴は受信契約の対象外であると同協会広報局が回答している。

2020年からは独立放送局も参入し、同年10月からはテレビ神奈川(tvk)、翌2021年4月からは群馬テレビ、同年7月からはテレビ埼玉(テレ玉)、2022年2月からは東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)、3月からは千葉テレビ放送(チバテレ)、4月からはワールド・ハイビジョン・チャンネル(BS12 トゥエルビ)制作番組の配信をそれぞれ開始した。

※安全地帯40周年記念コンサートはTVerでは配信されていません。

TVerはこちらから

U-NEXT

U-NEXTの登録・配信動画はこちらから

 

安全地帯40周年記念コンサートの出演者情報

「安全地帯」について

「安全地帯」は、日本のロックバンド。

1973年にボーカルの玉置浩二およびギタリストの武沢豊を中心に北海道の旭川市で結成。バンド名は、道路交通法による「安全地帯」から命名。北海道内でのアマチュア活動後、井上陽水のバックバンドとしての全国ツアーを経て1982年にシングル「萠黄色のスナップ」でメジャー・デビュー。1983年にリリースしたシングル「ワインレッドの心」が71.4万枚の大ヒットとなり、以後「恋の予感」「熱視線」「悲しみにさよなら」「碧い瞳のエリス」など多数のヒット曲をリリース。また1985年にリリースした4thアルバム『安全地帯IV』はオリコンチャートにて週間、年間共に第1位を獲得し累計92.9万枚の大ヒット作品となった。

1988年初秋に活動休止。玉置はソロ活動や俳優業として活動。1990年初夏に活動再開。その後1993年のシングル「ひとりぼっちのエール」を以て再び活動休止。2002年に9年振りにシングル「出逢い」発売後活動再開。その後2003年に3度目の活動休止。2010年にシングル「蒼いバラ」にて活動再開。以降、各メンバーソロ活動と並行してバンドも定期的に活動。

アマチュア時代
1972年、北海道旭川市で玉置浩二は、旭川市立神居中学校2年時のクラスに転入生だった武沢豊を迎える。中学進級時から自己流でギターを弾き始めていた玉置は、武沢の大きな掌に空手を稽古していると恐れを覚えるほどであったが、それがクラシックギターを習っているからだと知り、練習曲を上手く弾く武沢に惹かれ、バンド結成を誘う。

一方、1972年、同じ旭川で、中学3年の同級生とした矢萩渉がギター、田中裕二がドラムでバンドを結成していた。また、同じく旭川で六土開正は、1971年から1972年頃、年長者とバンドを組み活動していた。六土と矢萩/田中は中学同級生バンドとして知り合っていた。

1973年4月、玉置浩二(ボーカル)、武沢豊(ギター)、武沢俊也(武沢の兄、ギター・キーボード)の3人でバンド『インベーダー』を結成する。フォークグループとしてスタートし、演奏曲目はガロの「学生街の喫茶店」を得意とした。後にロックグループへの志向から『安全地帯』へ名称変更する。旭川市内に路線を持つ路面電車、旭川電気軌道の電停にある安全地帯の標識が、「Victory」の頭文字「V」に似ていたことで、初期のバンドメンバー・進藤による命名である。他案に『危険地帯』も候補に上ったが、「ロック=危険(な音楽)」というイメージを連想させることが平凡なため、採用しなかった。11月、玉置の兄、玉置一芳がドラムで、宮下隆宏がベースで参加した。レッド・ツェッペリンに憧れていた玉置一芳の影響でロックに傾倒し、ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)第6回に初出場。第11回を除く第13回まで連続出場した。

一方、将来の他のメンバーたちは、1973年には、六土開正が自身がリーダーとなる『六土開正バンド』を新たに結成。ここに、矢萩渉、田中裕二が参加した。

1976年、ポプコン第12回では「昔にみたもの」で北海道代表となり、つま恋本選会に出場した。この年の暮れ、12月25日、札幌市内にてFMラジオ番組の生放送に出演し5曲演奏した。『安全地帯』としてのラジオ初出演であった。

1977年6月、玉置一芳が脱退し、ドラムに大平市治が加入する。12月、オールマン・ブラザーズ・バンド、レイナード・スキナードなどのサザン・ロックを演奏していた『六土開正バンド』と合併する。これにより、六土開正(ベース、キーボード)、矢萩渉(ギター)、田中裕二(ドラム)が安全地帯に参加することとなった。

ボーカル玉置、武沢/矢萩のツインギター、六土はキーボードに回り、武沢/六土のツインキーボード、ベース宮下、ドラムは大平/田中のツインドラムという大編成8名バンドとなった。音楽性はハードロックから、ドゥービーブラザーズ、ジャクソン・ブラウンを中心としたアメリカンロックへと幅が広がった。オリジナル曲の制作も増え、作詞は初期に玉置、後に武沢俊也が担当。作曲は玉置が行った。

1978年2月、旭川市郊外の永山地区にある廃農家を借り、居住空間を確保した音楽専用スタジオに改装する。『ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション』(略称MFP、「音楽を耕す農夫集団」の意)と命名する。屋根と壁に囲われた空間に床を張り、防音材を四方の壁に詰めて水道を引き込んだ簡素な改装であったが、費用500万円は借金したためにメンバーはアルバイトに精を出すこととなった。一方、四周300mに一軒の隣家のないMFPでは、連日連夜、1日7〜8時間にわたって演奏練習・楽曲制作・録音に励むこととなった。なお、この音楽専用スタジオは後に脱退する宮下隆宏オーナーのフランス料理レストランに変貌し、MFPは安全地帯が設立した事務所名となる。7月、第1回ステージフライトに出場し、グランプリを獲得する。11月、田中裕二、宮下隆宏が脱退する。そのため、六土開正はベース担当へ復帰。この頃、後に安全地帯のディレクター/エグゼクティブ・プロデューサーとなる金子章平が安全地帯の演奏デモテープを聴き、MFPを訪問した。パット・シモンズのような雰囲気を醸し出すバンドメンバーの、パンチのある、ストレートな、想像以上の、演奏を見て金子は安全地帯の将来性に確信を持った。長期にわたる合宿により実力をつけ、数々のコンテストで入賞を果たし、北海道で実力No.1のアマチュアバンドとなった。

1979年5月、当時のキティレコード(現ユニバーサルミュージック)からレコーディングのチャンスが巡ってきた。しかし、バンドサウンドは未完成との判断で保留となった。8月、カルメン・マキの旭川、札幌公演では前座として出演した。11月26日、武沢豊が飲酒運転の車に衝突され、肋骨全部の骨折という重傷で入院する。

1980年4月、今度は六土開正が病気のため入院することとなった。10月になりキティレコードから再びレコーディングの依頼があり、まだ回復していなかった六土が病院の特別許可を得てライブ参加。ライヴ当夜、キティレコードと仮契約締結。11月には六土が退院、12月に武沢豊が仮退院とバンド復帰に向け活動を開始。28日のライヴ終了後、元モップスのギタリストで井上陽水の編曲やバンドサポートで活躍していた星勝を交えてミーティングを行う。星は心身ともに優れず意気消沈しているこの時期の安全地帯の精神的支柱となっていた。

1981年1月になり漸くキティレコードから正式なレコーディング依頼を受けた。3月に武沢俊也が脱退する。7月になると井上陽水が星勝の紹介でMFPを訪問し共演する。陽水からはロック以外にも歌謡曲やポップスなどの幅広い音楽に目を向けるように促される。

その後、井上の招聘により安全地帯が上京する。東京での初ライヴを渋谷『屋根裏』で開催。伊豆ポリドールスタジオ(後のキティスタジオ)にて、「オン・マイ・ウェイ」のレコーディングを開始し、その合間に東京、大阪、神戸のライヴハウスに出演する。8月、『'81井上陽水ツアー』にバックバンドに起用され、同行決定。MFPに戻り、ツアーのための練習に励む。22日、第4回ステージフライトにゲスト出演。井上のツアーの最終リハーサルとレコーディングのため再び上京し、東京で合宿生活開始。9月24日、井上陽水ツアーが熊本市民会館からスタートし、12月10日の東京・渋谷公会堂の最終回まで全国23カ所の公演に参加。ツアー衣装は、当初無給のため、渋谷のジーンズメイトで購入したものを履き、鉢巻きというスタイル。ツアーの経験から、自信のあった練習量、実力のある多くの同等バンドの存在に気付き挫折感を味わうが、更に練習に励む。11月、「オン・マイ・ウェイ」が正式発売前ながらブリヂストン・スノータイヤのCMソングに起用され、北海道、東北地方にて放映。

メジャー・デビュー
1982年

1月24日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に井上陽水のバックバンドとして初出演。井上陽水の春・夏のコンサートのサポート・ミュージシャンとして参加し、秋から翌年1月までの全国ツアーのバックバンドを務めた。2月25日、1stシングル「萠黄色のスナップ」でメジャー・デビュー。4月、キティレコードと正式契約。メンバーが東京に転居し合宿生活を開始後、大平市治が脱退する。田中裕二が再加入することで、デビュー以後の安全地帯の5人のメンバーが確立。5月、東京・渋谷『エッグマン』でライヴ。7月、井上陽水のバックバンドとして、東京・日比谷野外音楽堂、大阪城野外音楽堂のコンサートをサポートする。8月上旬、札幌市郊外で開催されていた『北海道博覧会』特設会場に、FM北海道の招きで出演する。下旬、1stアルバム『安全地帯I Remember to Remember』のレコーディングを伊豆ポリドールスタジオで開始し、合宿生活終了。玉置は、東京・目黒の四畳半一間のアパートを借家。一人暮らしに馴染めず、売上の芳しくないレコードの現状、コンサートが続くことも相まり、自暴自棄に陥りそうになる。苦しいなりにも自信は失っておらず、テレビコマーシャルか番組主題歌に起用される機会を窺っていた。10月25日、2ndシングル「オン・マイ・ウェイ」を発表。11月、井上陽水のツアーに翌年1月まで帯同。

1983年
1月25日、1stアルバム『安全地帯I Remember to Remember』を発表。同年秋、サントリーから発売された「赤玉パンチ」のCMソングに起用された井上陽水作詩による11月25日発売、4thシングル「ワインレッドの心」が大ヒット。一躍全国にその名が知れ渡る。

1984年
2ndアルバム『安全地帯II』、7thシングル「恋の予感」、3rdアルバム『安全地帯III〜抱きしめたい』と、立て続けにヒットさせる。

1985年
1月に8thシングル「熱視線」、続いて9thシングル「悲しみにさよなら」、4thアルバム『安全地帯IV』が大ヒット。TBSの『ザ・ベストテン』、日本テレビ『ザ・トップテン』年間第1位に輝き、同年のNHK紅白歌合戦初出場。また、FNS歌謡祭では史上初で唯一となる2年連続で最優秀歌唱賞を受賞。

1986年
8月、神宮球場においては初となるコンサートを井上陽水と共に行う。9月、陽水とのコラボレーションした12thシングル「夏の終りのハーモニー」を発売。12月、オリジナル・アルバムとしては異例の全36曲、アナログ盤3枚組(LP=3枚組、CD=2枚組)となる5thアルバム『安全地帯V』を発売。また、「ワインレッドの心」「恋の予感」「Friend」などが香港でカバーされ、それぞれヒットした。

1987年
安全地帯の活動の合間を縫ってソロでの活動も進められ、夏に玉置自身初のソロでのシングルとアルバムをリリースする。

1988年
秋、香港コロシアムでのコンサートを最後に活動休止を宣言。その原因として、メンバー個々の活動が活発化し、6thアルバム『安全地帯VI〜月に濡れたふたり』以降の音楽性の追求方向のメンバー間の相違によるとされる。宣言後の5人は約2年間、個々の活動を行う。
12月、自身初のベストアルバム『I Love Youからはじめよう -安全地帯BEST-』をリリースする。

1990年
7月、約2年ぶりとなる7thアルバム『安全地帯VII〜夢の都』をリリースする。収録曲の「この道は何処へ」は1991年冬季ユニバーシアードテーマ曲。

1991年
12月、8thアルバム『安全地帯VIII〜太陽』をリリースする。当時、テレビの音楽番組にも精力的に出演。

1992年
12月、アコースティックスタイルでのコンサートツアーの終了時点で、実質的に長期活動休止に入る。

2度の長期活動休止
1993年

2月10日、23rdシングル「ひとりぼっちのエール」がリリースされる。活動休止を境に玉置は、ソロと俳優業を中心とした活動に移行し、武沢豊はプロデュース業に専念、他のメンバーも個々の活動に入る。この時、安全地帯の所属会社がキティレコードからソニー・ミュージックエンタテインメントへ移籍。2002年の活動再開まで安全地帯名義の活動は約10年間休止したままだった。

1994年
武沢が脱退を発表。メンバー4人は玉置浩二のソロプロジェクトで当分の間活動することになる。玉置一芳(ドラム)、宮下隆宏(ベース)が一時的に復帰。しかし、実質的には玉置ソロ活動のサポート・ミュージシャンが帯同して、4名の活動となった。

1998年
7月19日、旭川市の野外ライブ『旭川ライブジャム'98in北彩都』で約5年ぶりにメンバー5人全員が揃う。

2001年
この頃より安全地帯としての音楽製作を本格的に再開する。玉置はソロ活動と並行。

2002年
7月10日、9年ぶりに24thシングル「出逢い」がリリース。発売前日、5人揃って記者会見が行われた。8月7日に9thアルバム『安全地帯IX』が発売。9月からツアーが始まったが、武沢は怪我のため不参加。

2003年
10月22日、10thアルバム『安全地帯X〜雨のち晴れ〜』がリリースされる。ツアーでは5人全員が揃い、80年代の活動の場であったライブハウス「Shibuya eggman」でもライブを行う。12月、ツアー全日程を終了。ツアー終了後約6年間、グループは再び活動休止。

「完全復活」〜現在
2010年

1月8日、前年秋からメンバーによる楽曲製作の合宿を極秘裏に行っていたことが、フジテレビ系情報番組『とくダネ!』で放映され、27thシングル「蒼いバラ / ワインレッドの心(2010ヴァージョン)」のリリースと3月のイベント出演が公表された。所属レコード会社はUSMジャパンに移籍(実質的には復帰)した。同日に「蒼いバラ」、2月3日にカップリング曲の「ワインレッドの心 (2010ヴァージョン)」の着うた配信がスタート。6月には、先の「ワインレッドの心」や、「悲しみにさよなら」等のヒット曲を新たにレコーディングし直したグループ初のセルフカバーアルバム『安全地帯 Hits』が発売。7月からは7年ぶりとなる全国コンサートツアーを開催し、9月下旬から10月上旬にかけて台湾・香港・韓国の海外公演も決定。なお、9月12日に行われた福岡市での公演は、玉置浩二が体調不良の状態でステージを敢行したものの、観客とのトラブルが生じたため、コンサートは中止扱いとされた。全国ツアー最終の10月5日・6日は、18年ぶり24回目となる日本武道館で公演を行った。

2012年
7月1日、Ustream番組『ソルトモ!』にて、ソニーへの再移籍ならびにデビュー30周年を節目とした初のレーベル『SALTMODERATE』の発足を発表。8月22日にはセルフカバー曲を中心としたアルバム『The Ballad House〜Just Old Fashioned Love Songs〜』を発売した。9月にはいわみざわ公園野外音楽堂キタオンと東京国際フォーラムでのライブを敢行。その模様が収録されたライブDVDは12月に発売。12月17日から12月25日にかけて、グループとして初めてクリスマスディナーショーを開催。

2013年
14thアルバム『安全地帯XIV〜The Saltmoderate Show〜』を発売。レーベル発足後初となる全国ツアー開催。ROCK IN JAPAN FESTIVALへ参加。その後韓国・香港・台湾でのアジアツアーを挙行。

2017年
5月31日、デビュー35周年を記念して初のオールタイム・ベストアルバム『ALL TIME BEST』をリリース。6月25日放送の『玉置浩二ショー』ではメンバー全員が出演した。さらに、11月22日にオリジナル・アルバム全14タイトルを紙ジャケット仕様と高音質CDで再発売することが決まった。『ALL TIME BEST』の発売と同時に発表されていた11月23日・24日の2日連続での日本武道館公演では、超満員となる計2万5000人を動員。12月9日の香港公演をもってツアー日程を終了する予定。

U-NEXT

U-NEXTの登録・配信動画はこちらから

 

動画・見逃し配信の視聴はお早めに!

動画配信は、一生行われているわけではありません。
それはどんなサービスでも同じです。

のんびり太くん
この動画気になるけど、まぁ~後で見ればいいや

こんな風に悠長に構えていると、あっという間に動画配信はなくなってしまったりします。

観たい!!と思った今、配信されているうちに是非動画を楽しんでくださいね。

U-NEXT

U-NEXTの登録・配信動画はこちらから