テレビ朝日で放送されている番組「世界水泳」福岡2023を無料視聴する方法について紹介していきます。再放送の情報や、無料動画や見逃し配信はTVer(ティーバー)で配信されるのかなど、昨今はテレビをリアルタイムで視聴するよりもスマホやテレビ、パソコンで視聴したいですよね?
YouTube(ユーチューブ)やbilibili(ビリビリ)、Dailymotion(デイリーモーション)、9tsu、miomio、Pandora(パンドラ)以外の「世界水泳」の動画配信についてなのですが、現時点では動画配信サービスU-NEXTで配信される可能性があります。
Contents
「世界水泳」2023.7.30放送分
世界水泳・最終日!池江璃花子や入江陵介ら力を一つに!男女メドレーリレー決勝!さらに女子400m個人メドレー決勝に16歳・成田実生&マッキントッシュが登場!
世界水泳・最終日!池江璃花子や入江陵介ら力を一つに!男女4×100mメドレーリレー決勝!さらに女子400m個人メドレー決勝に16歳・成田実生&マッキントッシュが登場!2週間に及んだ大会も、ついにクライマックス!22年ぶり福岡開催のフィナーレ!
◇出場予定選手
池江璃花子(6年ぶり世界水泳代表、23年日本選手権4冠)
成田実生(16歳・世界水泳初代表)
入江陵介(世界水泳8大会連続出場)
松元克央(19年世界水泳・銀メダル、23年日本選手権3冠)
サマー・マッキントッシュ(現・世界記録保持者)
ほか
「世界水泳」の出演者
【メインキャスター】松岡修造
【スタジオ・サブプール】寺川綾(12年ロンドン五輪・銅メダル)、萩野公介(16年リオ五輪・金メダル)
【解説】高橋繁浩(ロス五輪・ソウル五輪代表)、松田丈志(五輪3大会連続メダル)、宮下純一(08年北京五輪・銅メダル)
【実況】吉野真治、清水俊輔(共に、テレビ朝日アナウンサー)
【インタビュー】三上大樹(テレビ朝日アナウンサー)
◇音楽
【世界水泳応援ソング】B'z『You Are My Best』
【世界水泳テーマソング】B'z『ultra soul』
◇会場
〜マリンメッセ福岡A館(福岡県)
◇おしらせ
※19:00〜19:04は「私の幸福時間」を放送いたします
☆『世界水泳福岡2023』番組HP
https://www.tv-asahi.co.jp/swimming/sekaisuiei2023/
☆『テレ朝水泳』
【HP】https://www.tv-asahi.co.jp/swimming/
【Twitter】https://twitter.com/swim5ch/
【Instagram】https://www.instagram.com/swim5ch.tvashi/
☆番組冒頭は「良好生活研究所」…注目の商品・サービスについて楽しくご紹介
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TVerでの動画見逃し配信は?
TVerは、在京民放キー局5社(日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ)と、在阪民放5社(MBS毎日放送、ABCテレビ、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪)、広告代理店4社(電通、博報堂DYMP、ADK、東急エージェンシー)が共同出資した株式会社TVer(旧・株式会社プレゼントキャスト)が運営するOTTサービス。
海賊版コンテンツ・不正コピーの防止・対抗を目的として2015年10月26日にサービスが開始された。スマートフォンやタブレット向けのTVer専用アプリやPC上のウェブブラウザを利用して、民放テレビ局が提供するテレビ番組や動画コンテンツを視聴することができる。
在京民放5社は、当サービスの開始以前から独自の見逃し配信サービスをそれぞれ運営しているが、「TVer」はこれらを一元的に集約させたポータルサービスとしての役割も担う。
インフラにブライトコーブの動画配信プラットフォームBrightcove Video Cloudと機械学習を使ったエンコード技術Context Aware Encodingを採用している。
世界水泳はTVerで配信される?
配信は、放映から1週間程度の期間(次回放送がそれを超える場合は、遅くとも次回放送開始前まで)行われ、従来の放送と同じようにコマーシャルが挿入される形式となっている。テレビジョン放送とネット配信とで権利処理が大幅に異なるため、それらの関係で配信対象外となる放送回もあるほか、番組出演者が配信期間中に不祥事を起こした場合も即座に配信終了となるが、当該パートを削除された上で再開されることもある。また、一部の2時間以上に拡大された特別番組など、長時間番組は複数のパートやコーナー別に分けて配信されることもある。
サービス開始当初は、全国ネットでの放送番組(準キー局制作番組や系列BSデジタル局の番組を含む)を中心とした番組ラインナップであったが、2016年秋から2018年春までにかけて全ての準キー局系の見逃し配信サービスが参画し、番組の直接配信を開始したことにより、放送エリアが制限されているローカル番組の視聴も可能となった。これ以降、準キー局以外の系列局が制作したローカル番組も順次配信が行われている。
開始当初の配信番組はドラマ作品等が中心だったが、年を追うごとにバラエティ・アニメ・料理番組等ラインナップを増やし、2023年1月現在ではゴールデンタイム・プライムタイム等の番組を中心に約400番組以上がラインナップされている。また、ドラマ・アニメ作品等では本サービス開始前に放送された作品(概ね1950年代から2010年代までの物)や、オリジナル作品等が配信されることもある。ニュース・情報番組等については未だに、基本的に配信していないが、東日本大震災やSDGsなどのキャンペーン企画実施時に例外として配信する場合がある。ただし、全国ネットの番組であっても権利処理が難しいもの(映画番組等)や、製作側の事情から当サービスで配信が行われない番組もある。
配信番組は基本的に主音声(第1音声)のみが配信される。そのため、音声多重放送且つ副音声(第2音声以上)にて、2か国語放送や解説放送や副音声付放送等が行われた場合は副音声版を別途配信することもある。
「TVer」ではradiko(プレミアムを除く)とは異なり、配信番組の視聴にあたって国内でのエリア制限は施されていないことから、配信対象番組で放送枠の移動がある場合は、必ず放送時間のところに「一部地域をのぞく」の表記が入る。これは系列局が無い地域かクロスネット局で同時ネットの対象から外れた番組において遅れネットか非ネットの時があるため。一方、海外での利用はできず、この点は同様である。
2019年8月26日には、公共放送である日本放送協会(NHK)が制作する番組についても配信が開始された。広告放送が禁止されている同協会の性質上、NHKの番組をTVerで視聴する際にはコマーシャルは流されず、代わりに同局の番組宣伝などが流れる。なお、TVerでのNHKの番組視聴は受信契約の対象外であると同協会広報局が回答している。
2020年からは独立放送局も参入し、同年10月からはテレビ神奈川(tvk)、翌2021年4月からは群馬テレビ、同年7月からはテレビ埼玉(テレ玉)、2022年2月からは東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)、3月からは千葉テレビ放送(チバテレ)、4月からはワールド・ハイビジョン・チャンネル(BS12 トゥエルビ)制作番組の配信をそれぞれ開始した。
※世界水泳はTVerで配信されていません。
世界水泳の出演者情報
「松岡修造」について
「松岡修造」は、日本のタレント、スポーツ解説者、元男子プロテニス選手、兼スポーツキャスター。東京都出身。現・日本テニス協会理事強化本部副部長。マネジメントはIMG JAPAN。身長188cm、体重85kg。血液型AB型。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATP自己最高ランキングはシングルス46位、ダブルス95位。ATPツアーでシングルス1勝(日本人男子初のATPツアーシングルス優勝)、ダブルス1勝を挙げた。
1995年ウィンブルドン選手権男子シングルスで日本人男子として62年振りにグランドスラムベスト8に進出した人物である。また、ウィンブルドン選手権での通算7勝は2015年に錦織圭に抜かれるまで日本人最多の記録だった。
現役引退後はジュニア選手の指導やテニス大会の運営、日本テニス協会の理事を務めるなど引き続きテニスに携わりつつ、スポーツキャスター、タレント、日本オリンピック委員会スポーツ環境専門委員、ミズノスポーツ振興財団顧問などとしても活動している。
妻は元テレビ東京アナウンサーの田口惠美子で、田口との間に子どもが3人いる。
幼少期〜慶應義塾時代
東宝第11代社長となる実業家の松岡功と、元宝塚歌劇団の星組男役スターであった千波静との間に三人姉弟の次男として生まれる。父方の曾祖父は阪急電鉄や宝塚歌劇団などの阪急東宝グループ創始者の小林一三であり、親族に多くの実業家を持つ家系の中で育った。
父親の功は元テニス選手であり、甲南大学在籍時に全日本学生テニス選手権大会で単複優勝し、デビスカップ日本代表に選出。1955年の全日本年間ランキングでは宮城淳と加茂公成に次ぐ3位を記録する国内トップ選手の一人であったものの、家業を継ぐため大学卒業を機にテニスとの関わりを一切絶ち、自身のテニス選手としての過去を子供達にも全く話さなかった為、松岡はテニスを始めた当初父がデ杯代表選手であったことを知らなかった。
8歳の頃に、既にテニスをしていた三歳年上の姉・敏子を見てテニスに興味を持ち、一歳年上の兄・松岡宏泰と共にテニスを始める。当時の松岡は身長も低く丸々と太った体型で、周囲の大人達にイタズラをして回るような少年であり、一方で兄の宏泰はそんな弟とは対照的にいつも温厚で礼儀正しい子供で、体格にも恵まれてテニスセンスも抜群だったために、周囲のテニスコーチは宏泰に注目してより高度な指導を行なっていた。当然松岡もコーチに「自分にも教えて欲しい」とせがむも、コーチから返ってくるのは「修ちゃんは、ガッツがあっていいよ。」と言った慰めの言葉程度だった(松岡自身も後年に至るまで自身のテニスにおける素質の無さを自認しており、むしろテニスに関して自分よりも遥かに世界に通用する素質を有していたのは兄のほうであったと述懐している)。
また学業の方も惨憺たる状態で、松岡が学んでいた慶應義塾幼稚舎では4年生から落第の制度があったが、授業中でも教師の話を殆ど聞かず、宿題にも手を付けないといった事の繰り返しで担任から母と共に何度も呼び出しと注意を受け、三学期になるとそれを何とか挽回し落第をからくも免れるというパターンを繰り返す問題児だった。一方兄は本を読むのが大好きな少年で、勉強もトップクラスと修造とは対照的に何から何まで優秀な人物であり、そのギャップがかえって松岡兄弟が周囲の注目を集める要因となっていた。
しかし、才能の無さを指摘され、自身もそれを自覚しながらもテニスへの情熱は衰えるどころが増していき、名門テニスクラブとして知られる桜田倶楽部で元テニス選手の飯田藍らの指導を受けながら本格的にテニスを学ぶようになる。慶應義塾中等部に進学する頃には勉学を優先していた兄とは対照的に中等部の校長から「テニスと学業の両立を図るように」と叱責を受けるほどテニスに毎日の時間の殆どを割き、中学2年生の時に全国中学生テニス選手権大会で優勝。次第に頭角を現すようになる。その後慶應義塾高等学校に進むも、この頃中学3年生の時に覚えた麻雀に嵌り異常なまでにのめり込むようになり、夢中に取り組んでいたテニスよりも勝敗がその場で出る麻雀にうつつを抜かす毎日が続いた(その入れ込みようは自身の指先を見るといつの間にかテニスで出来たマメが消え、麻雀で出来たタコができていた程であったという)。しかしそんなある日、ふと自分の心中で「こんなことばかりしていていいのか?」「テニスがもっと強くなりたいと思っていたんじゃないのか」「目標のないまま大学に進学し、成り行きで就職して会社員になるのか。そんな人生でいいのか」と自問することがあった。そして「このままでは自分は駄目になる。自分が本当に好きなものはテニスなんだ」という事に気付かされた松岡は、そうしたぬるま湯的環境(松岡はこれを「甘え地獄」と形容している)となっていた慶應高校での学生生活を捨て、自分自身を鍛え直す為に高校テニス界の名門校として知られていた柳川高等学校への転校を決意する。この決断は両親に激しく反対された上、学校の教師からも当初は松岡が留年を恐れて転校を決心したと受け止められ、「学校のテニス部に入っていれば、成績が悪くても大学に行けるようにしてあげるから・・・」と心配された。しかし松岡の決意は固く、父を必死で説得し、柳川で必ず推薦の枠をもらって大学に進学することを条件に転校を許される。
1984年 柳川高校時代
1984年、柳川高校の2年生に編入入学。松岡はすぐさまテニス部に入部し練習を始めた。当時の同校テニス部は福井烈らを指導してきた田島幹夫監督の下スパルタ教育で生徒を鍛え抜く事で有名で、選手は全員丸坊主で他校の選手とは馴れ合わずいつも一堂で集まり、号令の下きびきびとした態度で試合に臨む等全てが軍隊式の様相を呈しており、そのハードな練習や上下関係の厳しさから全国的に恐れられていた。その噂通り田島監督の指導は厳しく、スマッシュを失敗すれば、イージーボールをネットに掛ければ、酷い時は言葉遣いが柳川弁になっていなければ叱られ、その都度ラケットで叩かれた。学校のない日曜日などはそんな練習が朝6時から夕方の6時まで続いたという。しかし何かを求めて柳川にやってきた松岡にとってはこうした恐怖の練習でさえ、毎日新しい自分を見つけられると思えば嬉しくもあり、寮生活にも慣れ友人も出来て監督の指導も愛情の表現だとわかり始めると、次第に毎日の猛特訓も楽しくて仕方が無いものに変わっていった。
柳川高校入学から2ヶ月後、松岡は「ウィンブルドンへの道」と題された国内ジュニア大会へ出場する。この大会は当時世界で通用する日本の若手を育てるという目的で開催され、ここで活躍した選手の内4名をヨーロッパ遠征のメンバーに選出し、ウィンブルドン選手権や全仏オープンのジュニア部門への出場チャンスを与えるというものであった。この大会で松岡は当時全日本ジュニアランク1位の太田茂を破り優勝する。本来であれば優勝者の松岡は当然メンバーに選出されるはずであったが、この海外遠征の期間がインターハイの予選期間と重なってしまった為、柳川のチームか自身を優先するか悩み、結局田島監督に相談した上で派遣を辞退する。そうして臨んだインターハイではチームの期待に応えシングルス、ダブルス、団体戦の全てを制し三冠達成に貢献。特に団体戦で優勝した事はそれまでは個人として勝つことしか知らなかった松岡にとって今までにない感動となり、仲間達と本当の喜びを分かち合うことが出来た。いつしか柳川は松岡にとって心の故郷となっていたのである。
1985年 ヨーロッパ遠征
しかし翌年再び「ウィンブルドンへの道」で優勝するも、またもやインターハイ予選の時期と重なってしまい、今度ばかりはどちらを取るか本気で悩み抜いた松岡は田島監督に加え母にも相談した。両者は「チームメイトのことを考えろ!」「学校に迷惑をかけることは絶対に許しません」と、インターハイを優先すべきだと助言した。だが松岡は「柳川高校を一年間休学し、また一年後に戻るという条件でウィンブルドンに行く!」と、ヨーロッパ遠征を選択する決断をし、同校を休学。二ヶ月間の遠征で出場した全仏オープンジュニアでは、シングルス1回戦で古庄エドワルドを7-5, 6-7, 9-7のフルセットの激戦の末下し、大会第2シードのトーマス・ムスターとの2回戦に進出、辻野隆三と組んで出場したダブルスでもスイス人ペアとの1回戦を勝利し、クリスター・アルヤード(英語版)/クリスチャン・ベリストローム(英語版)組との2回戦に進出。続いて出場したウィンブルドンジュニアではシングルスで大会第1シードのレオナルド・ラバージェ(英語版)との3回戦まで進出するなど、一定の手応えを掴む実りのある遠征となった。
ボブ・ブレットとの出会い〜プロ転向へ
遠征を終えた松岡は東京に戻り、休学中の間毎日のように桜田倶楽部に通い詰め昔の仲間と練習を続けていた。しかしこの時点においても松岡は一度たりともプロになるとは思っておらず、テレビで毎年のグランドスラム大会を見てジミー・コナーズ、ビョルン・ボルグ、ジョン・マッケンローらの活躍を目にしても、ごく普通のテニスファンのように「すごいなぁ」と思うだけで、プロになるんだという強い決意も野望も一切抱いていなかった。これは当時、彼らのようにプロとして華々しく活躍する日本人選手が居なかったことも理由の一つであったが、何よりも松岡自身が自分には到底プロの世界で活躍する才能など無いと思っていた事に他ならなかった。
ある日、飯田から「世界的名コーチのボブ・ブレット(英語版)が来日するらしいので、自分が何とか段取りをつけるから、練習を見てもらわないか?」と声をかけられた。松岡が詳しく話を聞くと、上述のヨーロッパ遠征時に出場した全仏オープンジュニアでプレーしていた所をブレットが偶然通りかかり、その場に居た日本人カメラマンの田沼武男に「この子、なかなか面白いかもしれない」と話し、それを聞いた田沼が旧知の間柄であった飯田に伝えた所、飯田がそれならば所用でやってくるブレットに頼んでみようと考えたという事であった。その希望は叶い、ブレットが練習を見に訪れ、30分程度の打ち合いも行った。だが、ブレットは練習が終わると握手を求めるついでに「明日、アメリカへ帰る。サヨナラ」と一言述べただけで帰ってしまう。自身のテニスに対する感想やアドバイスを期待していた松岡は拍子抜けした。柳川を休学して東京に戻ったものの、時期を見て柳川に戻り大学への推薦入学を目指すだけで終わってしまう自分への不安が、練習を見てもらえることによって一気に解消していくような気がしただけであった。
翌日、そんな松岡の下に田沼から電話があった。「修造、ボブからの伝言だ。明日にでもアメリカに来い。日本に居たら強くなれないよだって・・・」「やっぱり君の力を認めてくれたんだよ。よかったな・・・」。ブレットは彼を空港まで送った田沼に、松岡宛てのメッセージを残してくれていたのである。これを聞いた松岡は「ほんとですか・・・」と言って絶句したまま、何も言えなかった。「ブレットがそう言ってくれるのなら、本当に明日にでもアメリカへ行こう」。このたった一言の「明日、アメリカへ来い」というブレットの言葉が、松岡の人生を大きく変え、世界へと向かわせたのである。
アメリカ行きを決意した松岡は早速この事を両親に伝える。当初反対すると思っていた父は意外にも「好きなようにやれ!」と最早見放すかのように松岡の決断をあっさりと認めたが、今度はその話を聞いた母が「まだ高校も出ていないのだから、アメリカに行くならせめて大学を出てからにして欲しい」と強く反対した。これに対し松岡は、まず渡米先の現地のハイスクールに通って卒業し、アメリカの大学に進学するという条件で泣きながら必死の説得を行った。子供の頃から言い出したら絶対に聞かない松岡の性格をよく知っていた母はこの説得で決意の固さを知りようやく納得し、同年10月のジャパン・オープン・テニス選手権でシングルス予選を勝ち上がりツアー本戦初出場を果たした後に松岡は単身アメリカへ渡った。
アメリカ生活
1985年11月、アメリカに渡った松岡はブレットの手配でフロリダ州タンパにあるパーマー・アカデミー・ハイスクールに通いながら、タンパ近郊のウェズレーチャペル(英語版)にあるハリー・ホップマンが創設した名門テニスクラブとして名高い「ホップマン・キャンプ」でテニスの練習を見てもらうようになる。ホップマン・キャンプで多くの外国人選手に混じりひたすらボールを追い、体力を強化するトレーニングを積む練習の日々は松岡に大きな充実感と喜びを与えたが、その一方で困ったのが言葉の壁であった。日常英会話程度であれば身振り手振りを交えやり過ごせたが、ハイスクールの授業は全く理解できず現地の知り合いもブレット以外誰もいない。そこで松岡は決心し、自分の周囲から日本語の本/雑誌や音楽テープに至るまで辞書を除く全ての日本語を排除し始め、更に高校時代から書き始めた日記も英語で書くよう心がけた。数ヶ月後になるとこれが功を奏し相手の言っている事が理解できるようになり、それにつれて自分の言いたい事の大部分が何とか伝えられるようになっていた。この努力の甲斐もあり翌年の5月にはハイスクールを卒業。奨学金も貰い約束通りアメリカの大学へ進学しようとした矢先、ブレットから「腕試しにプロの試合に出てはどうか」とまたしても人生の転機となる言葉をかけられる。
松岡はこの何気ない提案に対しても自分がプロの試合で勝てるわけがないと渋ったが、ブレットは「つまらない恐怖心を持つな!人間には思いもよらない能力がある。5年間頑張ってみろ。運がよけりゃシューゾーは世界100位内に入る力がある」と松岡を力強く叱咤激励した。実際の所自分の実力がテニス王国のアメリカでどの程度通用するのか試してみたい気持ちもあった松岡は、この提案に乗り本格的にプロ大会への出場を決意する。
手始めにブレットは松岡を当時のATPツアー最下位カテゴリで、誰でもエントリーできるサテライト・トーナメント(英語版)に出場させた。このトーナメントは同一国で4週にわたって開催され、その4週の大会で好成績を収めた上位選手のみが5週目に開かれる大会に出場、そしてこの5週目のトーナメントで勝ち上がることによって初めてATPポイントの獲得に繋がるという仕組みであり、更に当時の松岡は当然ATPポイントもない選手であったため予選からの出場であったが、エントリー条件も低い分参加人数も多いこのトーナメント群では予選からの場合7試合を勝ち抜いてやっと本戦に出場出来るという厳しいものであった。
そういった状況下の中、軽い腕試しのつもりで出場した松岡であったが、予想に反し4週全ての大会で本戦に勝ち上がり5週目の大会にも進出。ここでも勝ち上がり、結局最初の大会でATPポイントを8ポイントも獲得した。この結果に松岡同様驚いたブレットは「シューゾー、いっそのこと、大学に行かずにプロになってみれば?」と勧めた。その時までアメリカの大学に進み、そこでテニスをやろうと考えていた松岡にとってこればかりは流石に即答できず悩んだ。だが元々世界の選手を相手にテニスをしてみたいとの思いで海を渡ってきた松岡にとって、その夢が叶うプロの道へ進むことは抗い難く、大学進学を選んだとしても在学中にまたプロになりたいと思うぐらいなら、今プロになることも同じ事だと考えた松岡はプロ転向を決意する。
しかし、ここでも一番の問題となったのが反対されるに決まっている両親の承諾をどうやって得るかという事だった。そこで松岡は「二年間やってみてダメだったら大学へ行く」という条件を考えだし、この条件で両親の説得を試みようと東京に電話した。父は意外にも息子を突き放すかのようにあっさりと認めたが、一方母は「(渡米の条件として)大学に行くって言ったでしょ。冗談じゃないわプロなんて!」と、相談を受けた当初こそ受話器を通して伝わってくるほどの怒りを露わにしたが、実は一度ホップマン・キャンプに息子を訪ねた際にブレッドから「大学に行かせないでプロにさせたらどうか」と言われていた事もあった為この事態をある程度予見しており、息子の必死の説得に最後は承諾の言葉を与えた。
1986年-
ブレットの言葉を受けてプロにはなったものの、父からはプロ転向に際し一切の援助は行わないと条件を付けられていたため、松岡はまず金銭の工面に苦労する事となった。幸い一ヶ月ほどでとあるマネージメント会社と契約を結ぶことができ、一年300万円の活動資金を与えられた。松岡にとってこの契約は大変な助けとなったが、それでも航空費などの移動費や宿泊費も全てこの予算から捻出せねばならなかったため、当初は貧窮に堪えながら世界中を転戦した(予算を切り詰めるため、宿泊するのは3流以下の安モーテルの一室であり、さらにその部屋を知り合った外国人選手と折半してシェアした上で、ランキングが下の松岡はいつも汚い床の上で寝た。酷いときには食事にも困ったため、ホテルの朝食に出たクロワッサンを隣のテーブルから盗んで食べたこともあったという)。
また、アジアからやって来た無名の選手でしか無かった松岡には、練習相手さえおらず、既に自分達の仲間内でライバルを持ち、練習相手にも事欠かない各国の選手たちにとって、ルーキーとの練習など得る物は無く、誰も相手にはしなかった。しかし、松岡は、強くなりたい一心で、空いてるコートを見つければ、他の選手が来るまで黙々と練習を続け、一人で壁打ちをしている選手を見かければ、良ければ自分の練習相手になってくれないかと必死の思いで頭を下げて願い出た。この願いは、何度も断られ、時には侮蔑の目で拒絶されることすらあった。しかし、それでもたまたま練習の同意を得たときは、松岡は、「お前のお陰で本番前の良い練習になったよ」と思われたいがために、いつも150%の力を出して練習に臨み、その質の高い練習が次第に周囲の評判となり、練習相手として受け入れられていった。それがまた自身の練習にもなり、レベルも知らず知らずのうちに上がっていったのである。
1988年 世界ランク100位入り
このようなツアー下部大会を中心に転戦する生活は、2年ほど続き、更にこの間コーチのブレットが当時世界ランク2位のボリス・ベッカー(西ドイツ)のコーチとなるため松岡から離れ、新たなコーチとして同じホップマン・キャンプのコーチであったロッド・フェルナンデスと契約。1988年頃から本格的にツアーレベルの大会に出場するようになり、1月の全豪オープンで予選を勝ち上がりグランドスラムシングルス初出場を果たすと、ノーシードで出場した4月のサントリー・ジャパン・オープンでは、1回戦で主催者推薦の土橋登志久を6-2, 6-3のストレートで、2回戦でジョナサン・キャンター(英語版)を6-2, 6-4のストレートで、3回戦では当時世界7位の大会第2シードミロスラフ・メチージュを7-6, 6-3のストレートで破る番狂わせを起こし、自身初のツアーシングルスベスト8に進出。続く準々決勝では第7シードのジョン・マッケンローに敗れたものの、スコアは6-7, 6-7のストレートと予想以上に善戦し、大会当時271位だった松岡のランキングは、一気に149位まで上昇した。これで自信を付けた松岡は、さらにノーシードで本戦から出場した8月の全米オープンの1回戦で、サイモン・ユール(英語版)を3-6, 6-4, 6-3, 6-2で破り、グランドスラムシングルス初勝利を挙げると、続いて出場した9月のソウルオリンピックアジア予選ではジーシャン・アリ(英語版)、シャハー・ペルキス(英語版)ら当時のアジア強豪選手を次々とストレートで破り、オリンピック初出場を果たす。
10月第1週のクイーンズランド・オープンでは1回戦でピーター・ドゥーハン(英語版)を6-4, 6-4のストレートで、2回戦で日系カナダ人のグレン・ミチバタを6-4, 6-7, 7-6のフルセットで、準々決勝でジェイソン・ストルテンバーグを6-3, 6-4のストレートで破り、当時世界ランク9位の大会第1シードティム・メイヨットとの準決勝まで進出し、10月第2週のスワン・プレミアム・オープン(英語版)では1回戦で当時世界ランク62位の大会第8シードジョーイ・ライヴ(英語版)を4-6, 7-6, 6-3のフルセットで、2回戦でマーク・クラッツマン(英語版)を6-1, 7-6のストレートでそれぞれ破り、当時世界ランク21位の大会第2シードアンドレス・ゴメスとの準々決勝まで進出。
主催者推薦で出場した10月第3週のセイコー・スーパー・テニスでは、1回戦で当時世界ランク26位のダレン・ケーヒルを7-6, 6-1のストレートで、2回戦でマーティン・デイヴィス(英語版)を7-5, 7-6のストレートで破り、リチャード・マトシェウスキ(英語版)との準々決勝まで進出するなど、3週連続で好成績を収めた。2番目のコーチであったフェルナンデスとは今一つ相性が悪く、シーズン中新たにブレッドから紹介されたアルバロ・ベッタンコにコーチを変更するといった環境の変化もあったものの、これらの活躍によりシングルスランキングも年初の252位から年度末には82位と大幅に上昇、日本人選手としては1976年に76位でシーズンを終えた九鬼潤以来12年振りの年間トップ100入りを果たし、JTAランキングにおいても1981年から7年連続で年間1位の座を保持してきた福井烈を抜き日本人選手トップに立った。当初ブレッドと話していた「5年で100位内に入れれば上出来」という目標を大幅に短縮し僅か3年でトップ100入りを果たした松岡は、こうして「世界に通用する日本人プレイヤー」として一躍注目を浴びるようになったのである。
1989年 ATP初タイトル
1989年は大会第4シードで出場した年初のBP国際選手権(英語版)1回戦でフランク・デンハルト(英語版)を6-2, 6-1のストレートで、2回戦で予選から勝ち上がってきたデビッド・ウィートンを7-6, 7-6のストレートで、準々決勝で第5シードのトビアス・スヴァントソン(英語版)を6-4, 6-4のストレートで、準決勝で第7シードのグレン・ミチバタを6-0, 6-3のストレートでそれぞれ下し決勝に進出。決勝では第2シードのケリー・エヴァーンデン(英語版)と対戦し5-7, 1-6, 4-6のストレートで敗れたが、日本人選手として1976年4月にパルマ・デ・マヨルカ大会で準優勝した九鬼潤以来13年振り、自身初となるツアーシングルス準優勝を果たす。翌週のハイネケン・オープンではスティーブ・ガイ(英語版)と組んで出場したダブルスでは決勝でジョン・レッツ(英語版)/ブルース・マンソンヒン(英語版)組を7-6, 7-6で倒しATPツアー初優勝をする等引き続き好成績を収めていった。しかし両膝の半月板を損傷するという故障に見舞われ、3月のマイアミ・マスターズ2回戦敗退を最後にツアーの一時離脱を余儀なくされる。
1990年 怪我との闘い
その後2度に渡る手術からリハビリの末7月のメルセデス・カップで復帰するも、その後は多くの試合に出られず、出場した大会も全て1回戦負けという成績で年度末ランキングを181位にまで落としてしまう。更に1990年のセイコースーパーテニスでは転倒した際に左足首の3本の靭帯全てを断裂するという大怪我を負い選手生命さえ危ぶまれたがこれも諦めずリハビリを続け、1991年にはツアー復帰。
1991年 復帰
怪我明けながらこの年は好調で、2月のアメリカーナのチャレンジャー大会で優勝。7月のカナダ・マスターズ3回戦では当時世界ランク9位の第4シードピート・サンプラスを2-6, 6-4, 7-6(8)のフルセットで下し、アンドレイ・チェスノコフとの準々決勝まで進出、完全復活を印象付けた。
1992年- ATPシングルス初タイトル 日本男子シングルス最高位
翌1992年には4月のソウル・オープン(英語版)決勝で、トッド・ウッドブリッジを6-3、4-6、7-5のフルセットで下し、日本の男子選手として初のATPツアーシングルス優勝を達成。同年6月のクイーンズ・クラブ選手権では2回戦でマラビーヤ・ワシントンを4-6, 7-5, 6-3の逆転で、3回戦で第5シードのゴラン・イワニセビッチを6-4, 6-3でそれぞれ下すと、準決勝では当時世界ランク2位のステファン・エドベリと対戦。これを1-6, 7-6(6), 10-8の接戦で制す番狂わせを演じ、ウェイン・フェレイラとの決勝戦に進出。決勝ではフェレイラに3-6, 4-6のストレートで敗れ準優勝に終わったが、この活躍により翌週のATPシングルスランキングで自己最高の46位を記録した。この順位は2011年10月17日に錦織圭が更新するまで日本の男子選手が記録したシングルス最高位であった。しかし、同年末に伝染性単核球症に罹患し、またも長期の入院生活を余儀なくされる。
1995年 ウィンブルドンベスト8へ
その後、世界ランキング100位の壁を突破できずに苦しむが、1995年ウィンブルドン選手権では、出場者に欠員が出たことにより、当初予選からの挑戦予定だった松岡に、本戦出場資格が回ってくる。この大会が、松岡のハイライトとなった。
1回戦でカレル・ノバチェクに24ものサービスエースを奪われながらも、6-4, 6-7(5), 3-6, 6-3, 6-4で粘り勝ちを収めた。また、3回戦のハビエル・フラナ(英語版)戦も、7-6(3), 3-6, 6-7(6), 7-6(4), 6-3のフルセット、3時間45分の大接戦を制した。さらに、4回戦ではマイケル・ジョイス(英語版)を6-3, 6-2, 6-4で破り、日本人の男子テニス選手として1933年の佐藤次郎以来62年ぶりのベスト8入りを果たす(晴れてラストエイトクラブのメンバとなる)。その時の松岡の感動の大きさは、コートを駆け回り、最後はコート上で大の字になって空を仰いで表現していたことからもうかがえる。その準々決勝では、1番コートに立ち、大会第2シード、当時世界ランク2位のピート・サンプラス相手に第1セットを先取するも7-6(5), 3-6, 4-6, 2-6のスコアで惜敗した(念願だったセンターコートでの試合は1996年2回戦、ミヒャエル・シュティヒ戦で実現する)。オリンピックにもソウル五輪、バルセロナ五輪、アトランタ五輪と3大会連続出場を果たした。
1998年- 引退とその後
1998年2月に元テレビ東京アナウンサーの田口惠美子と結婚し、程なくして30歳という若さで現役を引退した。引退会見では、引退という言葉は使わず「卒業」という表現にこだわった。その後はジャパン・オープン・テニス選手権のトーナメントアドバイザーとして大会運営に携わる他、後継者育成のための指導を行っている。またスポーツコメンテーターとしても活動しており、日本テレビの『スポーツMAX』(2004年3月まで放送、月曜日)に出演。
テレビ朝日等の1998年長野オリンピックや2002年ソルトレークシティオリンピック、アテネオリンピックといった国際スポーツ大会の解説にも参加。2004年1月〜3月に『エースをねらえ!』が実写ドラマになった時は、出演者のテニス監修を担当。番組の最終回には、実況解説者として出演を果たしている。
フジテレビの『くいしん坊!万才』のレポーター、2004年4月からはテレビ朝日の『報道ステーション』でもスポーツキャスターを務めている。また、たびたびTBSの『さんまのSUPERからくりTV』にも出演し、同番組内で明石家さんまと対決。現役テニス選手時代と少しも変わらない熱血ぶりを、テレビ解説を含む引退後の仕事でも披露している。近時はその好感度からイメージキャラクターとしての人気が際立って高く、2008年のCM起用ランキングでは木村拓哉と並ぶ男性1位(10社)に輝いた(ニホンモニター調べ)。
2012年3月、日本テニス協会強化副本部長に就任。
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「世界水泳」過去の放送内容
2023.7.29放送分
世界水泳福岡2023 競泳決勝 第7日
池江璃花子、本命の50mバタフライに登場!6年ぶり世界水泳で決勝の舞台へ!さらに100mバタフライでは去年の世界水泳銀の水沼尚輝、松元克央がメダルを懸けて挑む!
池江璃花子、本命の女子50mバタフライに登場!6年ぶり世界水泳で決勝の舞台へ!さらに男子100mバタフライでは、去年の世界水泳銀の水沼尚輝、松元克央がメダルを懸けて挑む!地元・福岡出身、ロンドン五輪銀の鈴木聡美が女子50m平泳ぎに出場!
◇出場予定選手
池江璃花子(6年ぶり世界水泳代表、23年日本選手権4冠)
水沼尚輝(22年世界水泳・銀メダル)
松元克央(19年世界水泳・銀メダル、23年日本選手権3冠)
入江陵介(世界水泳8大会連続出場)
鈴木聡美(12年ロンドン五輪・銀メダル)
ほか
2023.7.28放送分
世界水泳福岡2023 競泳決勝 第6日
6年ぶりの世界水泳で決勝進出を懸け、池江璃花子が本命の50mバタフライに登場!100mバタフライは、去年の世界水泳銀の水沼尚輝、松元克央!渡辺一平メダルへ!
池江璃花子、個人種目本命の女子50mバタフライに登場!6年ぶり世界水泳で決勝進出を懸け、自分を超える!男子100mバタフライは、去年の世界水泳銀の水沼尚輝、松元克央が登場!日本のお家芸、男子200m平泳ぎは、元世界記録保持者の渡辺一平がメダルを狙う!
◇出場予定選手
池江璃花子(6年ぶり世界水泳代表、23年日本選手権4冠)
水沼尚輝(22年世界水泳・銀メダル)
松元克央(19年世界水泳・銀メダル、23年日本選手権3冠)
渡辺一平(元・世界記録保持者)
ほか
2023.7.27放送分
世界水泳福岡2023 競泳決勝 第5日
瀬戸大也vsマルシャン…男子200m個人メドレー!日本のお家芸、男子200m平泳ぎに元世界記録保持者・渡辺一平!世界記録保持者・ポポビッチは男子100m自由形!
22年ぶり福岡開催!過去最多40人の競泳ニッポンが、自国開催の大会で自分を超える!瀬戸大也vsマルシャン…男子200m個人メドレー!日本のお家芸、男子200m平泳ぎに元世界記録保持者・渡辺一平が登場!女子200m平泳ぎは、今井月が6年ぶり世界水泳の舞台に帰ってきた!ポポビッチは男子100m自由形に!世界記録を持つこの種目で、ふたたび偉業なるか⁉
◇出場予定選手
池江璃花子(6年ぶり世界水泳代表、23年日本選手権4冠)
瀬戸大也(19年世界水泳個人メドレー2冠)
松元克央(19年世界水泳・銀メダル、23年日本選手権3冠)
渡辺一平(元・世界記録保持者)
今井月
ダビド・ポポビッチ(22年世界水泳2冠)
サマー・マッキントッシュ(現・世界記録保持者)
レオン・マルシャン(22年世界水泳2冠)
ほか
2023.7.26放送分
世界水泳福岡2023 競泳決勝 第4日
22年ぶりの福岡開催!東京五輪銀メダル・本多灯vs新怪物・マルシャン金争い!力を1つに!池江璃花子・入江陵介ら混合4×100mメドレーリレー!瀬戸大也個人メドレー
22年ぶり福岡開催!過去最多40人の競泳ニッポンが、自国開催の大会で自分を超える!東京五輪銀メダル・本多灯vs新怪物・マルシャン、男子200mバタフライで金争い!力を1つに!池江璃花子・入江陵介ら混合4×100mメドレーリレー!瀬戸大也は男子200m個人メドレーに登場!
◇出場予定選手
本多灯(21年東京五輪・銀メダル)
瀬戸大也(19年世界水泳個人メドレー2冠)
松元克央(19年世界水泳・銀メダル、23年日本選手権3冠)
池江璃花子(6年ぶり世界水泳代表、23年日本選手権4冠)
入江陵介(世界水泳8大会連続出場)
ダビド・ポポビッチ(22年世界水泳2冠)
サマー・マッキントッシュ(現・世界記録保持者)
レオン・マルシャン(22年世界水泳2冠)
ほか
2023.7.25放送分
世界水泳福岡2023 競泳決勝 第3日
22年ぶり福岡開催!男子200m自由形・決勝…ポポビッチ世界新なるか⁉松元克央は19年以来のメダル獲得へ!本多灯が本命種目に登場vs新怪物・マルシャン!
22年ぶり福岡開催!過去最多40人の競泳ニッポンが、自国開催の大会で自分を超える!男子200m自由形・決勝…ポポビッチ世界新なるか⁉松元克央は19年以来のメダル獲得へ!本多灯が本命種目に登場vsマルシャン!平井コーチの秘蔵っ子・青木玲緒樹…悲願のメダル獲得へ!
◇出場予定選手
入江陵介(世界水泳8大会連続出場)
本多灯(21年東京五輪・銀メダル)
松元克央(19年世界水泳・銀メダル、23年日本選手権3冠)
青木玲緒樹
ダビド・ポポビッチ(22年世界水泳2冠)
サマー・マッキントッシュ(現・世界記録保持者)
レオン・マルシャン(22年世界水泳2冠)
ほか
2023.7.24放送分
世界水泳福岡2023 競泳決勝 第2日
22年ぶり福岡開催!8大会連続・入江陵介、東京五輪2冠・大橋悠依、16歳の新星・成田実生などが出場!ポポビッチ、マッキントッシュらウルトラスイマーも!
22年ぶり福岡開催!過去最多40人の競泳ニッポンが、自国開催の大会で自分を超える!8大会連続の世界水泳となる入江陵介は100m背泳ぎに!東京五輪2冠・大橋悠依、16歳の新星・成田実生ら200m個人メドレー決勝へ!それぞれが自己ベストで熱き戦いを!ポポビッチ、マッキントッシュらウルトラスイマーも世界記録を超える戦いに挑む!
◇出場予定選手
池江璃花子(6年ぶり世界水泳代表、23年日本選手権4冠)
入江陵介(世界水泳8大会連続出場)
大橋悠依(21年東京五輪2冠)
成田実生(16歳・世界水泳初代表)
渡辺一平(元・世界記録保持者)
松元克央(19年世界水泳・銀メダル、23年日本選手権3冠)
鈴木聡美(12年ロンドン五輪・銅メダル)
ほか
2023.7.23放送分
世界水泳福岡2023 競泳決勝 第1日
22年ぶり福岡開催!競泳は初日から見どころ満載!6年ぶり世界水泳…池江璃花子&メダル第1号へ瀬戸大也決勝!さらに男女リレー!橋本環奈&博多華丸・大吉も全力応援!
22年ぶりに福岡で開催される世界水泳!競泳初日は見どころ満載!6年ぶりに世界水泳に帰ってきた池江璃花子!初日は100mバタフライ&女子リレーの2種目に出場!競泳ニッポンメダル第1号へ瀬戸大也vsマイケル・フェルプスを超える新怪物マルシャン!男女フリーリレー決勝も!メインキャスター松岡修造に世界水泳福岡応援団、橋本環奈&博多華丸・大吉もウルトラ応援!
◇出場予定選手
池江璃花子(6年ぶり世界水泳代表、23年日本選手権4冠)
大橋悠依(21年東京五輪2冠)
成田実生(16歳・世界水泳初代表)
瀬戸大也(19年世界水泳個人メドレー2冠)
本多灯(21年東京五輪・銀メダル)
渡辺一平(元・世界記録保持者)
松元克央(19年世界水泳・銀メダル、23年日本選手権3冠)
サマー・マッキントッシュ(現・世界記録保持者)
レオン・マルシャン(22年世界水泳2冠)
ほか
2023.7.19放送分
世界水泳福岡2023 アーティスティックスイミング ソロフリー/男子ソロ ほか
乾友紀子、井村雅代コーチとの二人三脚で、日本史上初ソロ連覇へ!有観客の日本開催で世界一の泳ぎを!さらに男子ソロでは、佐藤陽太郎がメダルに挑む!
昨年の『世界水泳ブダペスト』で、日本人女子史上初のソロ2冠の快挙を成し遂げた乾友紀子が、テクニカルに続いて登場!井村雅代コーチとの二人三脚で日本史上初ソロ連覇へ!さらに男子ソロでは、佐藤陽太郎がメダルに挑む!
◇出場予定選手
乾友紀子
佐藤陽太郎
2023.7.18放送分
世界水泳福岡2023 アーティスティックスイミング チームテクニカル決勝 ほか
アーティスティックスイミングの世界水泳過去最多メダルは、昨年のブダペストで獲得した7個!今年、福岡開催の世界水泳で過去を超える!今回は、チームテクニカル・決勝!
アーティスティックスイミングの世界水泳過去最多メダルは、昨年のブダペストで獲得した7個!今年、福岡開催の世界水泳で過去を超える!今回は、チームテクニカル・決勝!昨年は、同種目で銀メダルを獲得!日本のテーマは「雷」!熾烈なメダル争いを制することができるのか⁉
2023.7.17放送分
世界水泳福岡2023 アーティスティックスイミング アクロバティックルーティン
過去最多7個のメダルを超える!ダイナミックで優雅な新種目・アクロバティックルーティン!日本、チーム力でメダル獲得へ!
アーティスティックスイミングの世界水泳過去最多メダルは、昨年のブダペストで獲得した7個!今年、福岡開催の世界水泳で過去を超える!ダイナミックで優雅な新種目・アクロバティックルーティン!日本、チーム力でメダル獲得へ!
2023.7.16放送分
世界水泳福岡2023 アーティスティックスイミング ミックスデュエット ほか
過去最多7個のメダルを超える!新生デュエット・安永真白&比嘉もえメダルへ!さらにミックスデュエット・佐藤姉弟は昨年銀を上回る輝きへ!連日のメダルラッシュなるか⁉
アーティスティックスイミングの世界水泳過去最多メダルは、昨年のブダペストで獲得した7個!今年、福岡開催の世界水泳で過去を超える!新生デュエット・安永真白&15歳のニューヒロイン・比嘉もえメダルへ!さらにミックスデュエット・佐藤姉弟は、昨年銀を上回る輝きへ!連日のメダルラッシュなるか⁉
◇出場予定選手
安永真白
比嘉もえ
佐藤友花
佐藤陽太郎
2023.7.15放送分
世界水泳福岡2023 アーティスティックスイミング ソロテクニカル決勝 ほか
乾友紀子、井村雅代コーチとの二人三脚で、日本史上初ソロ連覇へ!有観客の日本開催で世界一の泳ぎを!
去年の『世界水泳ブダペスト』で、日本人女子史上初のソロ2冠の快挙を成し遂げた乾友紀子が先陣を切って登場!井村雅代コーチとの二人三脚で日本史上初ソロ連覇へ!有観客の日本開催で世界一の泳ぎを見せる!
◇出場予定選手
乾友紀子(2022年世界水泳ブダペスト ソロ2冠)
2023.7.15放送分
世界水泳福岡 22年ぶり!ウルトラ開幕SP
世界水泳が福岡に22年ぶりに帰ってきた!17日間にわたる熱き戦いが始まった現地より生中継!池江璃花子×橋本環奈の特別対談や世界水泳の見所を一挙紹介!
世界水泳が福岡に22年ぶりに帰ってきた!17日間にわたる熱き戦いが始まった現地より生中継!6年ぶり世界水泳に帰ってきた池江璃花子×橋本環奈の特別対談や、競泳ニッポンの注目選手を大特集!さらに歴史的偉業に挑むアーティスティックスイミング・乾友紀子企画や予選も!東京駅を世界水泳がジャック⁉大展開されている現地からの中継など、世界水泳の見所が詰まった開幕SP!