NHK総合で放送されている番組「リクエストラベル~大泉洋が”あなただけの北の旅”ツアコンしちゃいます~」を無料視聴する方法について紹介していきます。再放送の情報や、無料動画や見逃し配信はTVer(ティーバー)で配信されるのかなど、昨今はテレビをリアルタイムで視聴するよりもスマホやテレビ、パソコンで視聴したいですよね?
NHKプラスやYouTube(ユーチューブ)やbilibili(ビリビリ)、Dailymotion(デイリーモーション)、9tsu、miomio、Pandora(パンドラ)以外の「リクエストラベル~大泉洋が”あなただけの北の旅”ツアコンしちゃいます~」の動画配信についてなのですが、現時点では動画配信サービスU-NEXTで配信される可能性があります。
U-NEXTの登録・配信動画はこちらから
「リクエストラベル~大泉洋が”あなただけの北の旅”ツアコンしちゃいます~」2023.10.9放送分
タクト
リクエストラベル〜大泉洋が“あなただけの北の旅”ツアコンしちゃいます〜
大泉洋×明石家さんま 北海道2人旅!松山千春に会いたい!エスコンで清宮選手を応援したい!…さんまの無理難題に、ツアコン洋ちゃんは応えられるのか?爆笑弾丸ツアー!
34年ぶりに、さんま思い出の名馬・テンポイントの墓を再訪!しかし衝撃の事実が発覚…▽ファイターズ新球場では、試合直前にグラウンドに突撃?▽洋ちゃんVSさんま、18年ごし因縁のスープカレーに決着!?▽さんまさんとは20代からの付き合い、松山千春とあの名曲を熱唱?▽多忙な2人が、道内各地を1日で駆け抜ける!夕暮れの大通公園ビアガーデンで、さんまさんのちょっとイイ話も?▽語りは大泉と親交の深い吉田羊
「リクエストラベル~大泉洋が”あなただけの北の旅”ツアコンしちゃいます~」の出演者
【出演】大泉洋,明石家さんま,【ゲスト】松山千春,【語り】吉田羊
U-NEXTの登録・配信動画はこちらから
動画配信サービス「U-NEXT」を利用するメリット
先ず、「U-NEXT」では上記の通り現在放送されている最新のドラマやアニメ、映画、まだ海外ドラマや洋画、更には電子書籍で漫画や雑誌など多く配信されております。
また、「U-NEXT」でのみ配信されるドラマもあるので、他では味わえない楽しみを味わうことが出来ます。
220,000 本以上が見放題!
最新レンタル作品も充実。
見放題のラインアップ数は断トツのNo.1。だから観たい作品を、たっぷり、お得に楽しめます。また、最新作のレンタルもぞくぞく配信。もう、観たい気分を我慢する必要はありません。
動画も書籍も
U-NEXTひとつでOK。
映画 / ドラマ / アニメはもちろん、マンガ / ラノベ / 書籍 / 雑誌も豊富にラインアップ。あなたの好きな作品に、きっと出会えます。
毎月もらえる
1,200ポイントでお得に。
毎月もらえる1,200円分のポイントは、最新映画のレンタルやマンガの購入に使えます。翌月に持ち越すこともできるので、お好きな作品にご利用ください。
※ポイントは最大90日まで持ち越し可能です。
※ファミリーアカウントでもご利用いただけます。
解約は
いつでもOK。
U-NEXTの解約は、いつでも手続き可能です。無料トライアル期間中の解約の場合、月額料金は発生しませんので安心してお試しください。
そして「U-NEXT」では、パソコンやスマホ、タブレットだけでなくテレビの大画面で視聴することも可能なので、ゆっくりと大画面で、そして何処ででも動画を楽しむことが出来ます。
更に、「U-NEXT」はWi-Fi環境下などで動画をダウンロードしておけば、オフライン状態でも動画を楽しむことができます。
通信料などを深く気にせずに動画を楽しむために、ダウンロード機能は本当に便利です。
よくあるご質問
U-NEXTとは?
株式会社USENで、2007年に始めた動画配信サービスです。現在は映画 / ドラマ / アニメなどの動画だけではなく、マンガ / ラノベ / 書籍 / 雑誌など幅広いコンテンツを配信中。ひとつのサービスで観るも読むも、お楽しみいただけます。
なぜ見放題作品とレンタル作品があるの?
劇場公開から間もない最新作や、テレビ放送中のドラマ / アニメなど、ひとりひとりにお楽しみいただける作品をラインアップするためです。
毎月チャージされる1,200円分のU-NEXTポイントを使えば、最新映画なら約2本レンタル、マンガなら約2冊の購入に利用できます※。お気軽に、お得に、お楽しみください。
※作品によって必要なポイントが異なります。
無料トライアルは何が無料?
トライアル期間中は、月額料金が無料になります。
無料トライアル特典としてプレゼントされるU-NEXTポイントで、最新映画のレンタルやマンガの購入をすることも可能です。なお、お持ちのU-NEXTポイント以上のレンタルや購入をする場合は、別途料金が発生しますのでご注意ください。
最大40%※ポイント還元とは?
無料トライアルで特典としてプレゼントされるポイントや、無料トライアル終了後の継続利用で毎月もらえる1,200ポイントを超えて、最新映画のレンタルやマンガの購入をした場合、その金額の最大40%を32日後にポイントで還元します。
※iOSアプリのUコイン決済は20%のポイント還元です。
※Androidアプリ決済、キャリア決済、楽天ペイ決済はポイント還元の対象外です。
※U-NEXTポイントの消費はポイント還元の対象外です。
※ライブ配信作品、映画引換クーポン、NHKまるごと見放題パックの購入はポイント還元の対象外です。
フルHD画質 / 4K画質とは?
U-NEXTでは、Blu-ray Discに相当する高画質HD(1080p)配信に対応しており、レンタルDVDよりも美しい映像をお楽しみいただけます。
また一部の作品は、より画質の高い4Kにも対応しています。なお、通信速度が低下した際は、状況に応じて最適な画質に自動調整するため、余計なストレスを感じることなくご覧いただけます。
月額料金を支払うタイミングは?
無料トライアル終了日の翌日、それ以降は毎月1日に自動更新となり、このタイミングで月額料金が発生します。
引き落とし日は、ご登録されるお支払い方法により異なるため、別途ご確認ください。
いつでも解約できますか
お手続きいただくことで、いつでも解約できます。
無料トライアル期間中の解約であれば、月額料金が発生することもありませんので、ご安心ください。
「U-NEXT」はこれだけのメリットがある動画配信サービスなので、おすすめです!
U-NEXTの登録・配信動画はこちらから
TVerでの動画見逃し配信は?
TVerは、在京民放キー局5社(日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ)と、在阪民放5社(MBS毎日放送、ABCテレビ、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪)、広告代理店4社(電通、博報堂DYMP、ADK、東急エージェンシー)が共同出資した株式会社TVer(旧・株式会社プレゼントキャスト)が運営するOTTサービス。
海賊版コンテンツ・不正コピーの防止・対抗を目的として2015年10月26日にサービスが開始された。スマートフォンやタブレット向けのTVer専用アプリやPC上のウェブブラウザを利用して、民放テレビ局が提供するテレビ番組や動画コンテンツを視聴することができる。
在京民放5社は、当サービスの開始以前から独自の見逃し配信サービスをそれぞれ運営しているが、「TVer」はこれらを一元的に集約させたポータルサービスとしての役割も担う。
インフラにブライトコーブの動画配信プラットフォームBrightcove Video Cloudと機械学習を使ったエンコード技術Context Aware Encodingを採用している。
リクエストラベル~大泉洋が”あなただけの北の旅”ツアコンしちゃいます~はTVerで配信される?
配信は、放映から1週間程度の期間(次回放送がそれを超える場合は、遅くとも次回放送開始前まで)行われ、従来の放送と同じようにコマーシャルが挿入される形式となっている。テレビジョン放送とネット配信とで権利処理が大幅に異なるため、それらの関係で配信対象外となる放送回もあるほか、番組出演者が配信期間中に不祥事を起こした場合も即座に配信終了となるが、当該パートを削除された上で再開されることもある。また、一部の2時間以上に拡大された特別番組など、長時間番組は複数のパートやコーナー別に分けて配信されることもある。
サービス開始当初は、全国ネットでの放送番組(準キー局制作番組や系列BSデジタル局の番組を含む)を中心とした番組ラインナップであったが、2016年秋から2018年春までにかけて全ての準キー局系の見逃し配信サービスが参画し、番組の直接配信を開始したことにより、放送エリアが制限されているローカル番組の視聴も可能となった。これ以降、準キー局以外の系列局が制作したローカル番組も順次配信が行われている。
開始当初の配信番組はドラマ作品等が中心だったが、年を追うごとにバラエティ・アニメ・料理番組等ラインナップを増やし、2023年1月現在ではゴールデンタイム・プライムタイム等の番組を中心に約400番組以上がラインナップされている。また、ドラマ・アニメ作品等では本サービス開始前に放送された作品(概ね1950年代から2010年代までの物)や、オリジナル作品等が配信されることもある。ニュース・情報番組等については未だに、基本的に配信していないが、東日本大震災やSDGsなどのキャンペーン企画実施時に例外として配信する場合がある。ただし、全国ネットの番組であっても権利処理が難しいもの(映画番組等)や、製作側の事情から当サービスで配信が行われない番組もある。
配信番組は基本的に主音声(第1音声)のみが配信される。そのため、音声多重放送且つ副音声(第2音声以上)にて、2か国語放送や解説放送や副音声付放送等が行われた場合は副音声版を別途配信することもある。
「TVer」ではradiko(プレミアムを除く)とは異なり、配信番組の視聴にあたって国内でのエリア制限は施されていないことから、配信対象番組で放送枠の移動がある場合は、必ず放送時間のところに「一部地域をのぞく」の表記が入る。これは系列局が無い地域かクロスネット局で同時ネットの対象から外れた番組において遅れネットか非ネットの時があるため。一方、海外での利用はできず、この点は同様である。
2019年8月26日には、公共放送である日本放送協会(NHK)が制作する番組についても配信が開始された。広告放送が禁止されている同協会の性質上、NHKの番組をTVerで視聴する際にはコマーシャルは流されず、代わりに同局の番組宣伝などが流れる。なお、TVerでのNHKの番組視聴は受信契約の対象外であると同協会広報局が回答している。
2020年からは独立放送局も参入し、同年10月からはテレビ神奈川(tvk)、翌2021年4月からは群馬テレビ、同年7月からはテレビ埼玉(テレ玉)、2022年2月からは東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)、3月からは千葉テレビ放送(チバテレ)、4月からはワールド・ハイビジョン・チャンネル(BS12 トゥエルビ)制作番組の配信をそれぞれ開始した。
※リクエストラベル~大泉洋が”あなただけの北の旅”ツアコンしちゃいます~はTVerで配信されていません。
TVerはこちらから
U-NEXTの登録・配信動画はこちらから
リクエストラベル~大泉洋が”あなただけの北の旅”ツアコンしちゃいます~の出演者情報
「大泉洋」について
+詳細はコチラをクリック
「大泉洋」は、日本の俳優、タレント、声優、コメディアン、作家、歌手、元・北海道のローカルタレント。愛称は「洋ちゃん」。所属事務所はCREATIVE OFFICE CUE、業務提携先はアミューズ。演劇ユニット・TEAM NACSに所属している。以前は、音楽ユニット・FAN TANにも所属していた。身長178cm。
北海道江別市大麻出身。北海学園大学経済学部卒業。妻はフジテレビドラマプロデューサーの中島久美子。
北海道時代
江別市立病院で産まれる。1980年、江別市立大麻東小学校に入学。小学5年生の時、札幌市南区に引っ越し、札幌市立真駒内南小学校に転校。その後、札幌市立真駒内中学校、市立札幌藻岩高等学校を卒業後、浪人し、予備校の代々木ゼミナール・サテライト講座で学ぶ。浪人時代は、遊んでばかりだったという。
1994年に2浪して北海学園大学経済学部経済学科に入学。本来志望していた大学ではなく、母親から「もう死ぬんじゃないか」と心配されるほど滅入っており、当初は本人もかなり落ち込んでいたという。しかし、「このまま腐った気持ちでいるのはまずい」と奮起し、演劇研究会に入る。そこで森崎博之、安田顕、佐藤重幸(現:戸次重幸)、音尾琢真の4人と仲良くなった。初舞台は同年夏、演劇研究会の道内地方公演での大林先生 役。公演当時より独特のキャラクターが際立っていた5人だったので、演劇部内で浮いていた。1996年、大学を卒業する森崎・安田の卒業制作として公演を行なうための1回限りのユニットとして、上記の4人と「TEAM NACS」を結成。森崎・安田の大学卒業とともに解散したが、森崎・安田が会社を辞め、1997年8月に再結成する。
また、1995年には、演劇研究会の先輩である森崎と戸次の薦めで音尾と共に稲田博が主宰する劇団イナダ組に入団した(2004年まで所属)。代表の稲田博は「初めて舞台に立つときの立ち方を教えてくれた方」として今でも師とあおいでいる。
また、大学在学中の1995年10月には、HTB北海道テレビの深夜番組『モザイクな夜V3』に、2代目「元気くん」として出演し、芸能活動を開始。これは、初代「元気くん」・田中護の後任を探していた時に、演劇研究会の舞台を見た劇団OOPARTS(鈴井貴之主宰)の劇団員に認められ、鈴井の妻であった伊藤亜由美がディレクターの杉山順一に大泉を紹介したことがきっかけであった。「元気くん」は、すすきののニュークラブを取材するというレポーターで、初出演の時には、レポート先で「緊張する人」を演じた。その後、トーク力が買われ、スタジオにも呼ばれるようになった。また、番組の出演がきっかけで、鈴井貴之が代表を務めるCREATIVE OFFICE CUEに所属することになった。
翌1996年7月公開の『ガメラ2 レギオン襲来』にレギオンから逃げる地下鉄乗客役で映画初出演を果たすが、鈴井のミスによってエンディングにクレジットされていない。
同年10月には、HTBでスタートした深夜番組『水曜どうでしょう』に出演することとなり、北海道内でのタレント活動が活発化した。大泉と鈴井、ディレクターの藤村忠寿と嬉野雅道の4人を中心に過酷な旅を行う内容が人気となり、深夜枠での放送にもかかわらず、1999年には最高視聴率18.6%を得て、全国に番販され、それに伴い大泉の知名度も全国的に広がっていった。
1999年からは、『鈴井の巣』(HTB)でPUFFYにインタビューしたことがきっかけとなり、『パパパパパフィー』(テレビ朝日)に不定期で出演するようになり、全国ネットのバラエティ番組に登場することとなった。初出演時は、ゲストに郷ひろみや安室奈美恵がいる中、当時北海道外ではほぼ無名だった大泉がジャージ姿で司会として出演したが、観客から「キモい」などと言われ、落ち込んだ。この時はまだ東京に進出する気はなかった。
また、歌手としては、2000年に『鈴井の巣』(HTB)で大泉がボーカルの「大泉バンド」を結成し、番組内で奥田民生の作曲による「負け戦」を披露した。また、『ドラバラ鈴井の巣』(HTB)では、ドラマ企画毎に歌唱と共に、作詞・作曲を手掛けた。2004年には、作詞・大泉、作曲・根本要で、スターダストレビューとのコラボレーションシングル「本日のスープ」を「北海道限定版」と「全国版」で発売。全国版はオリコン最高10位を記録し、『ミュージックステーション』(テレビ朝日、2004年2月放送)や『うたばん』(TBS、2004年5月放送)に出演した。同年には、『おにぎりあたためますか』(HTB)の企画内で戸次重幸とのユニット『FAN TAN』でザ・ミュージックカウンシルより「起きないあいつ」を発売し、オリコン最高7位を記録。台湾デビューも果たす。
俳優としては、2003年には鈴井貴之監督の映画『river』で映画初主演となった。声優としても『千と千尋の神隠し』など、複数のスタジオジブリ作品に参加。2003年には、高坂希太郎監督の『茄子 アンダルシアの夏』にて主人公のペペ・ベネンヘリを務めた。
東京進出後
2004年に、31歳で本格的に東京進出。2002年に『水曜どうでしょう』のレギュラー放送終了したことで、仕事を続けていけるのかと不安になり、また、北海道での仕事に閉塞感を覚えていたことに加え、北海道ロケの映画で東京から来た俳優よりも格下の扱いを受けたことにショックを感じたのが東京進出の一因だった。一方で、「東京の芸能界は怖い。すぐ消えちゃうことになる」と不安もあったが、鈴井貴之の「大きな船でいきなり広い海の真ん中に出ていくわけじゃない、ゆっくり手漕ぎボートで出ていって、何かあればまた岸に戻って来られるんだから」という言葉に安心し、上京を決心。同年12月には、アミューズと業務提携を行い、その後は、道内の仕事はCREATIVE OFFICE CUE、道外の仕事はアミューズが手掛けている。
2005年に『救命病棟24時』(フジテレビ)にて、全国ネットの連続ドラマ初出演。以後、『小早川伸木の恋』(フジテレビ)、『ハケンの品格』(日本テレビ)など、数多くのドラマに出演。特に『ハケンの品格』では準主役ということで注目度が高まり、北海道(札幌テレビ)での視聴率が関東地区や関西地区よりも高く、平均で25%を超える視聴率を獲得した(関東地区での平均視聴率は20.1%だった)。
2009年5月2日、フジテレビドラマプロデューサーの中島久美子との結婚を発表。2人は2005年の『救命病棟24時』がきっかけで知り合い、2006年には初主演ドラマ『おかしなふたり』を手掛け、2008年の『ロス:タイム:ライフ』出演時の再会以降交際していた。大泉は中島について「未熟な私を精神的に強く支えてくれ、温かく見守ってくれる方」とコメントした。同年、『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ)で連ドラ初主演を果たした。
2010年8月29日、挙式。参加者は親族および友人、事務所関係者や番組関係者などで、司会は『1×8いこうよ!』で共演する札幌テレビアナウンサー・木村洋二が行った。
2011年5月、第一子となる長女が誕生。
同年9月には、札幌・すすきのを舞台とした映画『探偵はBARにいる』が公開され、大泉は探偵役で主演を務めた。翌2012年には、同作で第35回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞を受賞。同作は、第2作『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』(2013年)、第3作『探偵はBARにいる3』(2017年)とシリーズ化された。『探偵はBARにいる3』では、第41回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞を受賞した。
2014年、北海道特別"福"知事に任命される。同年、主演映画『青天の霹靂』が公開され、第6回TAMA映画賞 最優秀男優賞を受賞。
2015年、主演映画『駆込み女と駆出し男』が公開され、翌2016年には、第39回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞と第58回ブルーリボン賞 主演男優賞を受賞。
2018年からは、NHK総合テレビの音楽番組『SONGS』に番組責任者として出演。全国放送のテレビ番組としては、初のレギュラー番組である。
2019年、日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』(TBS)で、ラグビー部のゼネラルマネージャー・君嶋隼人役で主演を務めた。
2020年、『第71回NHK紅白歌合戦』で白組司会を担当。
2021年、『第72回NHK紅白歌合戦』で2年連続で司会を担当。また、同じく北海道出身の細川たかしとのデュエットにより、カラオケの十八番と話す「北酒場」を熱唱した。
「明石家さんま」について
+詳細はコチラをクリック
「明石家さんま」は、日本のお笑いタレント・司会者・俳優。
吉本興業所属。本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)。番組企画や構成等では、本名名義でクレジットされることもある。
和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)生まれ、奈良県奈良市出身。
落語家を志して2代目笑福亭松之助の弟子となり、高座名・笑福亭さんまとしてデビューするが、師匠の推薦でタレントに転向し、屋号を明石家に変えた。その後は1970年代後半から現在まで芸能界の第一線で活躍を続けている国民的お笑いスターの1人であり、ビートたけし・タモリと並び「お笑いBIG3」と称される。
1955年に和歌山県串本町の水産加工業の次男として生まれる。3歳の時に奈良県に転居し、出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時に捕まえたムササビが展示されている。また、当時は「ムササビを捕まえた少年」として話題になった。教師の薦めで東大寺学園中学校を受験したが不合格となり、その後奈良市立三笠中学校に進学した。奈良県中学生相撲大会で2位になったことがある。中学時代は同級生2人と「アーアーズ」といういたずらグループを結成し、遊びに興じていたという。 また植木等のモノマネをしていた。
奈良商業高校時代もクラブ活動はサッカー部に所属したものの、決して真面目な生徒ではなく何度も別のクラスの授業を悪戯で妨害するなどで学校中の人気者となり、さんま自身も「自分の頂点は17歳」と公言している。当然教師からは目の敵にされ、高校3年の運動会で徒競走で逆走した際に、それに怒った教師にPTAなどの前で追い掛け回されたりするなどのエピソードがある。 またクラスメイトの前で桂三枝の落語のコピーや自身の新作漫談もよく披露し、ある英語教師も授業を時々中断してはそれを黙認していた。そしてその才能に驚いた教師に「杉本、おまえ、吉本入れ」と言われ、徐々に芸能界に興味を持つようになった。 奈良商業高校時代は授業を抜け出してパチンコに興じ、得た収入を仲間に分配していた。
弟子入り
1974年2月、高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入り。入門の動機は、花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからだという。初めて顔を合わせた際、松之助に「なぜ僕を選んだのか」と入門の理由を問われたさんまは「センスがよろしいから」と、素直な気持ちを伝えたつもりだったが、これに対し松之助は「そら、おおきに」と返答。この日すぐ松之助はさんまを自身の仕事先であるラジオ局に連れて行った。
高校卒業後の3月に正式に内弟子修行を開始。入門生活は丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だった。高座名は「笑福亭さんま」が与えられた。
しかし半年もしないうちに内弟子修行を放り出して、当時交際していた女性と共に上京し、東京で一旗揚げようと試みる(いわゆる「さんま駆け落ち事件」)。しかし、東京での生活はうまくいかず、さんまは一時帰阪した際、松之助から借りていた本を返すという口実で、松之助宅を訪ねたが、松之助はさんまを一切叱ることなく、明るい声でさんまを激励した。このときは正式な弟子復帰に至らなかったが、松之助は「さんまが帰ってくるから、よろしゅう頼むわなぁ」と上方落語界や吉本興業への根回しをしており、直後にさんまと交際していた女性が別の男性と結婚し、さんまは内弟子修行に戻ることを決意して、なんば花月の松之助の楽屋を訪ねた際、松之助は「何もいうな、ついてこい!」と、師弟で初めて食事に行ったラーメン店にさんまを連れ出した。その後笑福亭のままでは反発があると、松之助の計らいでそれまで屋号を名乗っていた笑福亭ではなく「明石家さんま」として再出発した。
関西ローカル時代
1976年1月15日放送のよみうりテレビ制作の『11PM(大阪イレブン)』にて生放送された、20歳を迎える上方落語家をスタジオに集めてトークする企画「20歳の性熟度ピンクテスト」に出演。松之助は着物ではなく「赤いブレザーを着ていけ」と指示し、出演者の多くが着物姿の中、指示に従って営業用の赤いブレザーを着用して放送に臨み、よく喋ったさんまは目立った存在だったという。これがさんまのテレビデビューだった。
弟子になってから2年が経ち、通い弟子を卒業したさんまだが、テレビの出演オファーは全く無く、不定期の花月劇場の出番と落語会の出番の他、同期の島田紳助とイベント司会などの営業活動を行なっていたのみで、ほぼ毎日のように先輩芸人の森啓二とナンバ五郎(のちのMr.オクレ)とプラプラしてるだけだったという。ある日、毎日放送の『スタジオ2時』の企画「若手漫才選手権」に兄弟子の明石家小禄と漫才コンビとして出場を打診され、他に仕事もなく、松之助の助言もあり出場。小禄との漫才では、巨人の1番柴田から8番河埜までの選手の形態模写を順番に披露し、最後に巨人のエース小林繁の投球フォームを披露するネタが客にウケ、徐々に人気が高まった。その事もあり1976年の大晦日にフジテレビ『小川宏ショー』に出演。前述の形態模写で同年に活躍したスポーツ選手ネタだったが、これが東京での初仕事となった。翌1977年2月からうめだ花月に漫才コンビとして出るようになり、吉本興業から「アトム・スリム」として正式にデビューを打診されるが、さんまはピンで売れたい気持ちが強く拒否し事実上のコンビ解消となった。同時期に島田紳助からも漫才コンビを組む事を打診されるが拒否し、代わりに松本竜介を紳助に紹介し「紳助・竜介」結成に大きな役割を果たしている。
1977年10月にはB&B、のりお・よしお、ザ・ぼんちらとのコントユニット「ビールス7」を結成し、花月の舞台に定期的に出演していた。それらの活動が桂三枝の目に留まり、彼が司会する毎日放送の人気番組『ヤングおー!おー!』に抜擢。三枝の愛称「サニー」にあやかって「チャッピー」と愛称を付けられ、三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわし、林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍の番組内ユニット「ザ・パンダ」を改編して、さんまを加入させた「サニーズ・オオサカスペシャル(S.O.S)」を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる。その流れで1978年10月には『MBSヤングタウン』の桂三枝のアシスタントに抜擢。さらに同じ頃にプロ野球において「空白の一日」事件が起こり、巨人の小林繁が阪神に移籍すると、前述の小林の形態模写が再び脚光を浴びて、同形態模写をモチーフにしたレコードを出し、大ヒットするなど関西を中心にアイドル的な人気となる。
全国区のスターに
1978年のフジテレビ正月特番『はつもうで、三枝の爆笑ヒットパレード』に出演。その番組のスタッフだった横澤彪や三宅恵介との出会いから『スター千一夜』をはじめ、その後も両者が担当するフジテレビの多くの番組に重用される事になる。1979年10月にはニッポン放送で『明石家さんまのオールナイトニッポン』などレギュラーをもつなど徐々に東京にも進出しはじめ、1980年代に入ると、ピン芸人にもかかわらず漫才ブームに乗っかって『THE MANZAI』等に出演していた。
1980年に吉本興業が東京に本格的に進出するために東京連絡所を設立、漫才ブームが徐々に失速する中、さんまと紳竜が先頭に立って東京での仕事を増やし始めて、『笑ってる場合ですよ』、『オレたちひょうきん族』に主要レギュラーとして出演、さらに同年放送開始の『さんまのサタデーナイトショー』(テレビ東京)で、冠番組を獲得している。1983年12月に『のんき君』(フジテレビ)でドラマ初主演を果たすなど、当時は下に見られていた東京での大阪芸人としての地位を築くとともに、大阪中心から東京中心に活躍の場を移した。しかしこの時期に仕事の量と給料が全く釣り合わず、密かに吉本を辞める決心をしていたが、東京支社長の木村政雄から吉本の看板でいて欲しいと言われ、思いとどまったという。
1984年4月からは『笑ってる場合ですよ!』後番組の『笑っていいとも!』で金曜日レギュラーとして出演。特にさんまが「10分でいいからタモリさんと雑談するだけのコーナーをしたい」とプロデューサーに頼み込み、結果として10年以上続く人気コーナーとなった。これがきっかけで1985年6月、第1回東京国際映画祭において、タモリと共に総合司会を務める。しかしその司会ぶりが「ふざけた司会者」・「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。2回目以降も総合司会を任される予定だったが、結局1回限りで降板になった。
この時期は多忙を極め、大阪と東京を週に何往復もしていて、1985年8月12日、『MBSヤングタウン』出演のため、伊丹行きの日本航空123便に搭乗する予定だったが、搭乗前の「ひょうきん族」の収録が予定より早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたためにその墜落事故を免れた。同日放送の「ヤングタウン」では、「いつも使ってる便やから…」とショックを隠せず、この経験を機に飛行機に乗れなくなってしまい、東京・大阪間の移動などは新幹線を利用するようになった。また、この経験から生まれたさんまの座右の銘が「生きてるだけで丸儲け」であり、娘IMALUの名前の由来になっている。また、笑顔のまんまの歌詞にもこの言葉が使われている。
1986年7月よりTBSテレビドラマ『男女7人夏物語』、1987年10月よりその続編である『男女7人秋物語』に主演し、いずれも最高視聴率が30%を越えるなど名実ともに国民的スターとなる。同番組で大竹しのぶと親しくなる。
1987年4月、ナムコ(現在のバンダイナムコエンターテインメント)がファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売し、人気を博す。しかし吉本興業が本人の許可を取らずにメーカーに制作・発売を許可したため、事実を知ったのは発売後だった。
同年7月18日 - 7月19日にかけて生放送された『第1回FNS27時間テレビ・FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』の総合司会をタモリと共に担当。深夜のコーナーでフライデー事件で謹慎していたビートたけしが登場。これをきっかけにして、タモリ・たけし・さんまで、正月にゴルフ番組をしようとする企画が生まれ、その番組のタイトルが「BIG3」となり、結果的にこの3人がBIG3とよばれるようになった。翌1988年は司会を辞退したが、1989年にも『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89』の総合司会を再びタモリと共に担当した。
大竹しのぶとの結婚・離婚
1988年10月、『男女7人秋物語』の出演以降も交際が続いていた女優の大竹しのぶと結婚、翌1989年に娘のIMALUが誕生した。
1989年10月で『ひょうきん族』が放送終了すると同時に、しばらくは育児に専念するため仕事を控えるようになり、全国ネットのレギュラー番組も『笑っていいとも』、『さんまのまんま』、『あっぱれさんま大先生』のみとなり、ゴールデン帯のレギュラー番組が一時期なくなっていた。また1991年にはOVA『リリが見たやさしい虹』を原案および声優(ジョー役)として参加(リリ役は大竹)。また絵本としてもさんま名義で出版(ストーリーは脚本家の君塚良一)するなど、家庭的なイメージを見せていたが、しかしそれにより5年連続して1位だったNHKの『好きなタレント調査』で15位にまで急落するなど、一時的に人気に陰りが見えていた。
1992年9月、大竹と離婚。バブル崩壊も相まって、しばらくは8億5千万円の豪邸が中々売却できずに、「同情するなら家買って」など自虐ネタなどもギャグにしていた。結局数年後3億円まで落として売却されたため、5億円の借金が残った。そのため1992年4月から、『さんまのからくりTV(1996年4月から『さんまのSUPERからくりTV』)』、1993年4月から『さんまのナンでもダービー』、1994年4月からは『恋のから騒ぎ』がそれぞれ放送開始するなど仕事の量も増やし、前述の好感度調査も1995年には6年ぶりに1位になり、1998年以降は再び連続して1位になっている。
番組スタッフとの確執がきっかけで、1995年9月を以て金曜レギュラーとして11年半出演した『笑っていいとも!』を降板。
男女七人秋物語出演以降は、主演としてのドラマ出演も控えていたが、『恋も2度目なら』(1995年1月~3月、日本テレビ)、『その気になるまで』(1996年4月~6月、TBS)、『恋のバカンス』(1997年1月~3月、日本テレビ)、『世界で一番パパが好き』(1998年7月~9月、フジテレビ)、『甘い生活。』(1999年7月~9月、日本テレビ)など離婚後は年に一回のペースで主演を務めていた。その他では1996年1月10日にはフジテレビの田村正和主演の『古畑任三郎』シーズン2の初回スペシャルにゲスト出演し、やり手の弁護士を演じる。第1シーズンは平均視聴率は10%台半ばだったが、この放送で視聴率25%をたたき出し古畑を人気シリーズへとを高める役割を果たした。
大御所芸人として
90年代までは『いいとも』金曜日の雑談コーナーや『車庫入れ事件』に代表されるように、BIG3の立ち位置でもビートたけしとタモリにいじられる役割が多かったが、90年代後半あたりから、ナインティナインはじめ一回り以上離れている後輩芸人がどんどん出てきて、お笑いBIG3の一人として大御所の立場に変化しはじめると、後輩芸人に対してお笑いに対してよりストイックになり、そのために本番中であろうがあまりのダメ出しの多さに「めちゃイケ」にゲスト出演した際にナインティナインの岡村隆史から『お笑い怪獣』と呼ばれだしたりして、それがさんまを表す代名詞として定着した。
SMAPと親交を深め、特番はじめ年一回のレギュラーとして、2000年から2016年までは中居正広と『さんま・中居の今夜も眠れない』で共演するなど多くの番組で各メンバーと共演した。その中でも2002年の『空から降る一億の星』(フジテレビ)のW主演での共演をきっかけに、木村拓哉と特に公私ともに親交を深め、2003年からは毎年の正月特番として『さんタク』で共演を続けている。
2003年、自身としては初めての戦争ドラマに挑戦したTBSドラマの『さとうきび畑の唄』に主演し、平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞受賞作品するなど、高い評価をうけた。しかし、戦争映画特有な過酷なロケに対して自身は「もう二度と戦争ドラマには出たくない」と語っており、ドラマ内の名セリフ「こんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよ」を自らパロディにしたりして笑い話にしたりしている。
2009年に娘のIMALUが芸能界デビュー。当初は猛反対していたが、デビューするにあたっては発表前日に突然元妻の大竹から聞かされた後は諦念し、「とにかく人の倍は努力せなあかん」とアドバイスを送った。
2012年4月8日、なんばグランド花月にて行われた、「吉本興業創業100周年特別公演・伝説の一日」の4回目に出演。大トリとして、『さんまの駐在さん』が25年ぶりに復活した。本公演には、当時のレギュラーメンバーであった月亭八方や間寛平、村上ショージ、ジミー大西の他に、今田耕司や岡村隆史、桂三枝、西川きよし、師匠の松之助など総勢51名が出演した。
還暦以降
2015年7月に還暦を迎え、還暦記念してフジテレビで『さんまでっか!?TV』、毎日放送で『痛快!明石家電視台 明石家さんま生誕年SP』などが放送され、番組はさんまのゆかりの芸人らが出演し思い出に花を咲かせた。さんまは還暦を迎えるにあたっての心境として、一時期引退も考えていた。しかし、吉本幹部はじめ芸人仲間の反対や、特に爆笑問題の太田光に「ぼろぼろになるまでやって欲しい。今辞めたらかっこよ過ぎる」などと言われ、最終的には撤回した。
還暦を越えてからテレビタレント以外の活動として、プロデューサー業にも携わるようになり、2018年にはジミー大西の半生をドラマ化した『Jimmy~アホみたいなホンマの話~』をNETFLIXでプロデュース。これまで構成や企画としての番組参加はあるが、プロデューサーとしての番組制作に携わるのは初めてだった。当初は小出恵介がさんま役を演じ、前年に実際にクランクアップまでされていたが、配信開始直前に小出が不祥事を起こしたため、お蔵入りの危険もあったが、最初にオファーされていた玉山鉄二が代役として、さんま役のシーンをすべて撮り直し再編集した形で当初予定より1年延期して2018年夏に配信された。さんま自身、本編には出演しなかったものの、毎話のオープニング解説と最終話のラスト後に制作秘話を振り返る形で出演した。なお、さんまは小出についてニューヨークまで会いに行くなど、その後も小出と親交を持っている。
2015年11月に『さんまのまんま』で共演した直木賞作家の西加奈子との縁で、彼女の小説『漁港の肉子ちゃん』の映像化の権利を取得。当初は実写映画化を考えていたが、西の希望によりアニメ化されることになり、同プロジェクトにプロデューサーとして参加。2年余りの製作期間を経て2021年6月に上映した。
明石家さんま出演番組動画一覧はこちらから
U-NEXTの登録・配信動画はこちらから
動画・見逃し配信の視聴はお早めに!
動画配信は、一生行われているわけではありません。
それはどんなサービスでも同じです。
のんびり太くん
こんな風に悠長に構えていると、あっという間に動画配信はなくなってしまったりします。
観たい!!と思った今、配信されているうちに是非動画を楽しんでくださいね。
U-NEXTの登録・配信動画はこちらから